ドイツ国際平和村設立から50年

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Japanese version of the article „50 Jahre Friedensdorf – Gestern und Heute“ originally posted on friedensdorf-onlinereport.de on January 1st 2017: 2017年1月1日付 設立から50年が経とうとしているドイツ国際平和村をご支援くださり、誠にありがとうございます。   私たち、ドイツ国際平和村のスタッフはいろいろな世界を行き来しています。私たちが住んでいる世界は、平和に住め、きれいな水が手に入り、空腹が満たされ、必要なものが溢れています。しかし世界の違う場所では、今も銃撃が鳴り響き、地雷があり、戦争が繰り広げられてるのです。水がとても貴重で、多くの人々が毎日空腹という世界もありますし、少数の人々だけがとても裕福で、多くの人々が極貧困層だという世界もあります。   大きな違いは、医療制度にあります。私たちの住む国では、高水準の療法を受けられる可能性が大いにあります。上にあげたような世界では、この可能性はほとんどありません。医師たちが、ほとんどいなくて、病院や医療費に必要なお金もありません。 … Weiterlesen

75回目の援助飛行を行います。 2017年1月26日付

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Japanese version of the article „75. HILFSEINSATZ IN AFGHANISTAN“ originally posted on friedensdorf-onlinereport on January 26th 2017: 先週末、ヨーロッパの右派ポピュリスト党が今年の大選挙をテーマにドイツ・コブレンツに集まりました。また、世界中の人々は、米国の新大統領ドナルド・トランプ氏の動きに驚きを隠せません。このような動向の中、国連はアフガニスタンの現状について報告しました。 最新の国連・人道支援計画によると、2017年はさらに45万人が避難しなければならない状況が予想されています。この数字は、2016年内に既に登録された63万人の国内避難民とは別の新しい数字です。また、アフガニスタン全人口の3分の1にあたる930万人の人々が、今年、困窮状態に陥っています。それは、1日平均約1500人が、地元から避難しなければならない状況と言えます。政府による管理がなされていない地域はさらに増えており、困窮にある人口の約20%の人々と連絡をとることが非常に困難です。さらに、アフガニスタンの40%の人々は十分な食事をとることができず、100万人以上と想定される子どもたちが急性栄養失調を患い医療的な処置が必要です。しかし、多くの場合がその処置を受けることができないのです。なぜなら、アフガニスタンの40%の人々は、この国の健康保険システムに適応されていないからです。 上記の数字の裏には、アフガニスタンの人々の現実が見え隠れします。そして、ドイツ国際平和村は、定期的に援助飛行を行う中で、アフガニスタンの実情を垣間見ています。今週、ドイツ国際平和村は、第75回アフガニスタン援助飛行の準備に入りました。ドイツ国際平和村は、アフガニスタンの子どもたちをドイツに受け入れ、治療の機会を提供する活動を過去30年間行ってきましたが、今も子どもたちが母国で適切な治療を受けることができないことは、悲しい現状です。子どもたちは治療のためにドイツへやってきて、できるだけ早くに治療を終え、母国の家族のもとへ帰ります。 1987年、はじめてアフガニスタンの子どもたちをドイツ国際平和村で受け入れました。その子どもたちは、パキスタンの難民キャンプで暮らしていました。翌年1988年のクリスマスイブには、アフガニスタン・カブールからフランクフルト空港に、アフガニスタンの子どもたちが到着しました。フランクフルト空港からは、ドイツ軍のヘリコプターによって、デュッセルドルフに到着し、そこからノルトラインヴェストファーレン州の各協力病院に搬送されました。最初に子どもたちを受け入れた80年代当時の共産主義政権下のソ連軍駐留時、ムジャヘディンがカブールの街を破壊した時期、タリバン政権下にその後のカルザイ政権下、そして現在も、ドイツ国際平和村は、アフガニスタン現地パートナー団体と協力して、活動を継続できています。それは、ドイツ国際平和村が、非政府団体であり、特別な信条と結びついていないからです。30年間援助活動を続けましたが、アフガニスタンの実情は改善されず、特に困苦にある人々への支援はまだまだ必要です。ドイツ国際平和村はこれからも支援を続けていきます。 ドイツ国際平和村代表トーマス・ヤコブスは、この国の将来を懸念しながら言及します。「軍力を使ってでは、アフガニスタンの問題を解決することはできないでしょう。この国の問題をより深く洞察する眼識や現地の人々を底上げするような力が必要です。」 ドイツ国際平和村の支援を通してドイツにやってきた子どもたちは、治療を通して元気になるだけでなく、平和村での体験も母国に持ち帰ります。それは、「ともに平和に過ごせること」です。   写真:©Uli Preuss

平和を願い「フリーデンスフェスト」を開催しました。

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Japanese version of the article „WEIHNACHTEN – EIN FEST MIT VIELEN TRADITIONEN“ originally posted on December 30th 2016 平和を願い「フリーデンスフェスト」を開催しました。 2016年12月30日付 世界中には、例えばオランダのように、クリスマスより聖ニコラウスの日のほうが重要視されている国があります。イタリアでは、クリスマスは家族が集って共に祝う日で、スペイン同様に、プレゼントは1月6日の三王来朝の日にもらいます。ロシアや東欧では、1月7日にサンタクロースならず、ジェット・マロースとその孫娘がそりに乗ってプレゼントを運んできます。ギリシャでは、12月24日に子どもたちが、楽器を演奏しながら街中を歩き、幸福が訪れるようにと各家庭にてカランダという歌を歌います。ポーランドでは、クリスマスの食事は12種類あり、12使徒を想いながらいただきます。食事は人数分以上準備されます。それは、突然訪れるお客様の分なのです。オーストラリアでは真夏にクリスマスがあるので、サンタクロースは、赤い水着を着てヘリコプターで移動しています。人々はクリスマスターキーを、ビーチでピクニックしながら、いただきます。インドでは、クリスマスはヒンズー教にとっても重要な日なので、祝日です。   ドイツ国際平和村は、現在、紛争や危機的状況にある9カ国から子どもたちを受け入れています。宗教や文化背景の違う子どもたちが共に生活しています。そのため、施設ではドイツ的な伝統的なクリスマスパーティはありませんが、食堂が綺麗にデコレーションされて、特別美味しい食事も準備されました。   毎年恒例になった平和を願う「フリーデンスフェスト」という名のパーティが、今年も12月30日にありました。歌を歌ったり、スタッフたちが演劇をしたり、子どもたち一人ひとりにプレゼントもありました。子ども用腕時計やおもちゃの車。これらのプレゼントは、思い出の一つとして、母国に帰る際に持ち帰るかばんに詰められます。子どもたちや家族にとって一番のプレゼントは、なんといっても、子どもたちが治療を終え、元気になって、母国へ帰ることです。この帰国というプレゼントは、アフガニスタンや中央アジアの子どもたちに2017年2月に贈られる予定です。というのも、2017年2月に、アフガニスタンや中央アジアへの援助飛行を予定しているからです。この際に、治療を終えた子どもたちが現地の家族のもとへ帰ることができるのです。   … Weiterlesen

2016年12月31日

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Japanese version of the article „zum Jahreswechsel“ originally postet in German on December 31st 2016 by Friedensdorf Team. 2017年に向けて 2016年12月31日 ここ最近、ヨーロッパ、そしてドイツでも、テロ脅威のため、緊迫した状況にありました。私たちは、もう、この悲惨な現状の傍観者ではありません。家族や友人に何か起きていないかと日常的に考えるようになっています。アフガニスタン、ガザ、シリア、イラク、イエメンや他の世界中の多くの国々では、もう何年も何十年もこのような状況が日常であり、子どもたちがそのような状況の中、成長しているのです。 2017年、ヨーロッパが更なる問題に向き合うことは、すでに想定内です。イタリア、オランダ、フランス、そしてドイツでは、重大な選挙があります。今日、その全ての国で、明らかに右派の支持が増えています。地球上で、紛争、危機的状況は減少することなく、それらが明らかに、人々が難民として国を去る理由とされています。 一般的には、年越しの際に新年の希望や抱負を考えますが、ドイツ国際平和村は民主的価値観、団結、そして人間らしさを訴えます。共に、過去数十年の成果に目を向け、団結して、これからの問題にチャレンジしていきましょう。一般論や総括的な責任問題では、偏見や外国人嫌悪を解決することはできません。私たち自身にかかっているのです。私たちが、テロリストや過激派が破壊しようとしていることを、私たち自身、そして社会のために受け入れなければいいのです。 ドイツでの治療が必要なため、ドイツ国際平和村へやってきている子どもたちが、日々、私たちに証明してくれています。病気やけがによる制限があっても、肌の色、宗教、母国が様々でも、平和に共に生活することが可能であるということです! ドイツ国際平和村は、2017年、設立から50年を迎えます。紛争、危機的状況にある子どもたちへの人道援助活動を行っているドイツ国際平和村は、国内・海外ともに、政党に左右されず、宗教上も中立の立場で、もっとも貧しい人々のために尽力しています。 「ドイツ国際平和村のような施設が50年も存在し続けたことは、本来なら残念なことです。しかし、世界の状況から見ると、多くの子どもたちやその家族を救うことができるという意味ではよいことなのです。」とある友人が言います。2016年も、紛争や危機的状況にある国の何百もの家族にとって大切な希望を届け、援助を提供することができました。 … Weiterlesen

ガンビアへ子どもたちが帰国しました。

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Japanese version of the article „Heimreise nach Gambia“ originally postet on December 21st 2016 2016年12月21日付 12月20日早朝、ガンビアから治療のためドイツに来ていた子ども2人が、ドイツでの治療を終えて、母国に帰国しました。ガンビアではクリスマスを祝う習慣はありませんが、この子どもたちの家族にとって、子どもたちの帰国は、とても嬉しいクリスマスプレゼントになりました。父親、母親、叔父、叔母、祖父母、そして兄弟姉妹たち、従妹たちが、何時間も前から、バンジュールの空港で、2人の子どもたちの帰国を待っていました。子どもたちは、ガンビアでは治癒が不可能なため、ドイツでの治療を受けていました。そのため、家族と数か月間離れていたのです。 4年前から、アフリカ大陸の最小国、ガンビアという国の子どもたちに、ドイツでの医療援助を提供しています。これまでに、30人以上ものガンビアの子どもたちが、ドイツ国際平和村と現地パートナー団体を通して、医療援助を受けることができました。ガンビアの医療制度は不安定です。医療的処置が必要だとしても、国民の多くは医療費を支払うことができず、治療を受けられない状況です。必要な医療や薬が手に入らないため、因習的な薬師にお告げを求めます。この薬師は、専門的な医療者とは異なります。 ドイツ国際平和村は、子どもたちへの医療援助と同時に、2016年中に合計約13トンの援助物資を、ガンビアへ送りました。この援助物資が、現地の医療インフラを改善するために役に立っています。医薬品や衣類などの援助物資の他、ある病院から寄付されたベットも送られました。 母国の困難な生活状況にかかわらず、子どもたちが私たちに示してくれることがあります。それは、子どもたちにとって、ガンビアという国が危機的状況にある国ではなく、アフガニスタンも紛争地域ではないことです。これらの国は、彼らにとって母国なのです。母国とは子どもたちにとって、大家族の待つ場所であり、先祖代々住む場所であり、知っているにおいがする場所であり、母国の味がある場所であり、それに、聞き覚えのある騒音がある場所でなのです。治療を終えたこのガンビアの子どもたちにとって、ドイツでの治療は、夢ある将来を持つことができ、家族の力になることができることを意味しています。 二人の帰国は、素晴らしいプレゼントになりました! 写真:母国ガンビアへ帰国する子どもたち

震撼-ベルリンのクリスマス市にトラック突入

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Japanese version of the article „Erschütterung über Anschlag in Berlin“ originally postet on December 20th 2016 2016年12月20日付 テロ行為と推定されているベルリンでの惨事に、ドイツ国際平和村は愕然としています。また、スタッフ一同、被害を受けた方々、その方々の家族・友人の皆様に想いを寄せています。 アレポ、アンカラ、チューリッヒ、ベルリン。過去数週間、悲劇の舞台となった場所です。このリストはもっと長くなるかもしれません。「なんという世界にいるのか」と人々は問いたくなるでしょう。犠牲者が目の前にいたり、友人・知人、家族が犠牲となったら、確かに身近に危険を感じることでしょう。この残虐さに人々は息をのみ、この残虐行為は人々を震撼させます。目には涙があふれ、動揺、怒り、暗迷、悲しみといった反応が広がります。何が、人をこのような行為に走らせるのでしょうか?背後で操っている黒幕の意図は何なのでしょうか?恐怖や不安を助長し、彼らが生きてきた不公平な世界のどこかに報復し、戦闘を拡大したいのでしょう。   どうにもならないような気持ちになり、次に起こる惨事を想像してしまうかもしれません。確かに、具体的に抵抗できる何かができるわけではないかもしれません。しかし、この状況下においてできることは、私たちがどのような世界に生きたいのか、私たちの子どもたちや孫たちがどのような世界に生きるべきかを念頭に、意識的に行動することです。 難民受け入れに反対する声や、イスラムとヨーロッパの文化が相容れないとする考えが増えています。それに追随したいか、例え「浅はかな善人」といわれようが人道的かつデモクラシーの価値を大切にしたいかは、各自が決めることです。 人道、公正、超党。これらは、約50年間、紛争や危機的状況にある無実の犠牲者への援助を行うドイツ国際平和村が大切にしている事項です。ドイツ国際平和村は50年間の活動を通し、これらが子どもたちにとっても意義あることを知っています。 ドイツ国際平和村の施設には、常時約150人の子どもたちが生活しています。現在、ドイツ国際平和村にいる子どもたちは、アンゴラ、アフガニスタン、ガンビア、タジキスタン、キルギス、アルメニア、ガザ、ウズベキスタンといった国々から来ています。そして、彼らの背後には、母国で待つ家族の存在があります。全ての子どもたちに共通することは、病気やけがを負っている、または負っていたということです。彼らの身体的な制限は、母国では治療できないのです。もう1点、共通点があります。国や肌の色、言葉、宗教に関係なく、平和な共同生活ができることをこの子どもたちが示してくれています。この体験が子どもたちの中に残り続け、大人によって構築された現在の動向に影響されないことを願います。不穏が広がりつつある世界において、寛容さと公正、そして共に寄り添いあうことを次の世代に伝えていくことは、今の私たちの任務です。 写真:©Toby Binder

市民から市民へ「パケットアクション2016」 約5000箱をアルメニア、ナゴルノ・カラバフ、タジキスタンへ

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Japanese version of the article „Paketaktion 2016: Rund 5000 Pakete für Bedürftige in Armenien, Nagorny-Karabach und Tadschikistan“ originally postet on December 16th 2016 2016年12月16日付 ハンブルクからアルメニアのエレバンまで、直線距離だと約3700kmあります。ドレスデンからタジキスタンの首都ドゥシャンベまでは、5600kmです。この距離を、日持ちのする食品や暖かい衣類が詰められたダンボール箱を積んだ貨物機が移動しました。ダンボール箱の中身は、コーカサス地方とタジキスタンの人々にとって厳しい冬を過ごす助けとなります。 市民、学校、教会、幼稚園など、グループで規定の箱を購入し、食品を詰めてくれました。箱の中身は、小麦粉、砂糖、肉や野菜の缶詰、チョコレート、歯磨き粉、温かい靴下などです。これらの基礎食品は、アルメニア、ナゴルノ・カラバフ、そしてタジキスタンの失業者、年金生活者、孤児、病人にとって、冬季生活の糧になります。「人々はまた、それぞれに必要なものを交換したりしています。こうして手に入れたもので、厳しい寒さを乗り越えられるのです。」と、長年協力してくれている現地パートナースタッフが言います。 … Weiterlesen

ドイツ国際平和村スタッフ一同、ボランティアで活動して下さっている皆さんに感謝申し上げます。

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Japanese version of the artikel „Friedensdorf International sagt danke an alle freiwilligen Helfer“ originally postet on December 5th 2016 2016年12月5日付 1985年、国連は12月5日を国際ボランティア・デーと採択し、翌年の1986年から施行されました。それ以来30年間、自身の時間を捧げるという精神に目を向け、実行している人々を評する日となっています。 寄付金のみで運営しているドイツ国際平和村にとっても、ボランティアの皆さんのお力は、特別な意味を持ちます。皆さんのご協力があってこそ、施設やドイツ各地の病院に入院中の子どもたちが安心できるのです。また、日本・ドイツ各地のチャリティ・イベントが開催され、より多くの人が平和村の活動や子どもたちのことを知り、活動のための資金となるご寄付が集まるのです。 日本・ドイツ国内外には、ドイツ国際平和村の活動と子どもたちのために、自身の時間、能力、技術、経験、創造力、真心、温かいお気持ちをついやして下さる皆さんがいらっしゃいます。皆さんのお力なしでは、ドイツ国際平和村は、戦争、危機、それに伴う貧困などで犠牲になった子どもたちにドイツでの治療を提供することができません。しかし同時に、ボランティアの皆さんも、子どもたちからたくさんのものを得ているのではないでしょうか。笑っている子どもたちの目、幸せそうな微笑み、握手をした時に伝わる手の感触、子どもたちを通して他の世界を垣間見ること。ドイツ国際平和村が受け入れた子どもたちは、ドイツ国際平和村での思い出を母国に持ち帰ります。そして、ドイツで様々な人たちが助けてくれたことは、その後も子どもたちの心の中に残っていくのです。 ドイツ在住の方に向けて、ドイツ国際平和村ではボランティアセミナーを開催しています。ボランティア活動の様々な分野やドイツ国際平和村の理念・方針をお伝えしています。 また、インターン生(住み込みボランティア・研修生)という形での活動に参加してくださる方も募集しています。 どちらの形のボランティアでも、子どもたちや他のスタッフとのコミュニケーションをとるために、ある程度のドイツ語力をお持ちの方にお願いしております。 … Weiterlesen

平和村でクリスマスバザーを開催しました 

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Japanese version of the artikel „Adventsbasar im Friedensdorf Oberhausen“ originally postet on November 28th 2016 2016年11月28日付 クリスマスまであと4週間、ドイツではクリスマスムード一色です。11月26日(土)、ドイツ国際平和村でも、カラフルなイルミネーションで飾られたクリスマスらしい温かな雰囲気の中、訪問して下さった方々と子どもたちが共に同じ時間を楽しみました。ボランティアの皆さんが、木で造られた屋台で気持ちが華やぐ物品を販売をし、平和村の活動と子どもたちのためにご寄付を集めていました。ドイツ国際平和村の大使でもある俳優のGuenter Lamprechtさんは大人向けに、クリスマスの物語の読み語りをし、芸術家のNadja Zikesさんは訪問してくれたお子様と平和村の子どもたちのために、メルヘンを読んでくれました。平和村の広場では、エッセン市の女優であるVeronika Maruhnさんが妖精に扮装して飛びまわり、子どもたちがキラキラした目でその姿を追っていました。 平和村施設でのクリスマスバザーは、ドイツのクリスマスムードに、子どもたちの母国の文化を加えたような独特の雰囲気でした。ゾーリンゲン市のブラスバンドがクリスマスの曲を演奏し、訪問者の方や子どもたちも一緒になって歌いました。また、ウズベキスタンのグループ「Meros」の演奏の際には、子どもたちはダンスしていました。そして、平和村のアフリカ出身の子どもたちだけではなく、他の子どもたちにとっても、ナイジェリアのゴスペルグループ「Nivid e.V.」は大人気でした。 ドイツ国際平和村のクリスマスバザーは、子どもたちの母国の文化やダンスも加わり、ドイツらしいクリスマスマーケットとは一味違ったものとなりました。 写真:Olaf Kracht 平和村の子どもたちも、ボランティアさんや訪問して下さった方と一緒に、クリスマスバザーを満喫しています! … Weiterlesen

日本での平和村ネットワーク

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Japanese version of the artikel „Friedensdorf-Netzwerk in Japan“ originally postet on November 9th 2016 2016年11月9日 ドイツ国際平和村施設を訪れる日本の方々に、なぜ平和村施設に来られたのか聞くと、大抵の場合、ドイツ国際平和村のことを日本で聞いたことがあるからだという答えが返ってきます。多くの日本の方々が、ヨーロッパ旅行を機に、平和村施設を訪問してくださいます。 日本でも、インターネットといったメディアやソーシャルネットワークは大きい力を持っています。それによる繋がりはとても大切です。さらに、人と人とが直接会うことは、そのようなツールよりもより深く人と繋がることができます。平和村で繋がった仲間たちは時折日本で集い、平和村の話に花を咲かせ、平和村の活動や子どもたちのためにできること、例えばチャリティイベントの企画などを考えて下さっています。今回はそのような集いに、ドイツから平和村日本人スタッフの中岡麻記も参加しました。 今回の集いは、女優東ちづるさんとピースボートの皆さんが発案してくださいました。女優東ちづるさん、ピースボートの皆さん、テレビディレクターの河原剛さん、ドイツ国際平和村を支援して下さっている方々、ドイツ国際平和村の元住み込みボランティアの皆さんが、11月初旬、東京に集まりました。ピースボートは、世界一周の旅を提供し、乗客同士の交流、ゲスト乗客による船上セミナー、寄港地において国際交流ができるようなプログラムを組んでいる団体です。東ちづるさんが繋いで下さり、2015年6月にはじめてピースボートのスタッフの方が平和村施設を訪れてくださり、企画について話をする機会を持ちました。その後、2016年5月にピースボートの乗客のうち24名とスタッフ2名の皆さんが訪問して下さったのです。ピースボートのスタッフの方によると、来年5月のクルーズの際にも、ドイツ国際平和村の訪問を企画してくださっているそうです。 平和村のドイツ人スタッフは、ドイツ国際平和村はドイツより日本での方が知名度があるのではと言います。ドイツ人スタッフがそのように言うほど、多くの日本の皆様からの温かい気持ちに支えられているドイツ国際平和村ですが、その歴史には女優東ちづるさんが大きくかかわっています。東さんは約20年の間、定期的にドイツ国際平和村を訪れ、母国日本で支援活動を続けて下さっています。平和村で「チー」という愛称で親しまれている東さんは芸能生活の傍ら、平和のためにボランティア活動にも積極的に取り組まれています。東さんの活動を通じて、ドイツ国際平和村に来て6か月から1年もの間住み込みでボランティアをすることを決意する方もたくさんいらっしゃいます。そして、定期的にご寄付をお送り下さるサポーターの皆様、チャリティイベント、コンサートを企画して下さる皆様、学校や企業、店舗などで募金活動にご協力下さる皆様、たくさんの日本の皆様の温かいお心、お力により、ドイツ国際平和村はこれまで活動を続けることができました。この場をお借りして、心から感謝申し上げます。

国連が定める「世界子どもの日」に際し、ドイツ国際平和村から声明 2016年11月20日

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Japanese version of the article „Stellungnahme zum Weltkindertag der Vereinten Nationen am 20. November 2016“ posted here on this website 1959年11月20日、「児童の権利に関する宣言」が国連総会で採択されました。これは、子どもたちの権利を増進し、子どもたちの言葉に耳を傾け、暴力から抜け出し、成長していくためのものです。そして、その日から30年後の1989年11月20日に、「児童の権利に関する条約」が国連総会で採択されました。現在では、「世界子どもの日」は、世界194か国中145か国で祝われています。 児童の権利とは、例えば、生きる権利、健康である権利、教育の権利です。児童の権利に目が向けられてきたという経緯はポジティブではありますが、ドイツ国際平和村はこの「世界子どもの日」を機に実情に目を向けたいと思います。 多くの国で、理想と現実はまだまだ一致していません。ドイツを含むヨーロッパでも多くの子どもたちが、この児童の権利を獲得していない現実があります。この児童の権利からほど遠い生き方をしているのが、紛争地域や危機的状況にある国に住む何百万人もの子どもたちです。設立からほぼ50年が経つドイツ国際平和村は、それらの国々への援助を通じて、このことを知っています。 11月初旬に、第60回目のアンゴラ援助を行いましたが、理想からはほど遠い状況であることが明らかです。鎮痛剤や抗生物質、十分な栄養、軽度のけがや病気の治療をするために必要な医療品をもった医師などにかかわることができる子どもは、アンゴラ内ではまだまだ少数です。適切な医療インフラが整っていないことは、教育を受ける権利が遂行されないことにもつながります。重度の病気を抱えた子どもたちは、学校に行くことができません。 ドイツ国際平和村が活動を行っている他の国々も同様です。一触即発といった治安状況のアフガニスタンは特に深刻です。そんな状況ではありますが、今年の援助飛行の際、多くの家族が危険な道のりを経てカブールまでやってきました。家族は援助を受けたい一心でやってくるのです。ここでも、医療状況を整えることの必要性と、児童の権利が現実のものではないことが明確です。医療インフラの不整備によって、初期治療を受けることがなく、多くの子どもたちが、ヨーロッパに来ないと治療ができないほどの重度の病気やケガを抱えることになるのです。 ドイツ国際平和村は、児童の権利が現実的になるよう、約50年前から危機的状況にある国々に住む病気や怪我の子どもたちに、ヨーロッパにおける治療の機会を提供し、できるだけ早く家族のもとへ帰すように努めています。並行して、子どもたちの母国において、健康に生きる児童の権利を改善するための様々なプロジェクト活動を行っています。加えて、ドイツ国際平和村の平和教育部門は、セミナーやイベントを通し、青年や成人向けての啓蒙活動を行っています。 児童の権利が実質的に守られるようになるまでには、まだまだ課題がたくさんありますが、「世界子どもの日」を機に現在の状況に新たに目を向け、紛争や危機的状況にある国々の子どもたちの実情を伝えていきたいと思います。 … Weiterlesen

故郷への帰国と異国への旅立ち-第60回アンゴラへの援助飛行が無事終わりました

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Japanese version of the artikel „Reise in die alte und neue Welt“ originally postet on November 11th 2016. 2016年11月11日 11月8日、ドイツ中の協力病院で治療を受けて元気になった子どもたちが、チャーター機に乗って、母国アンゴラの家族のもとに無事帰りました。そして3日後、飛行機は70人のケガや病気を抱えた子どもたちと、同行した平和村スタッフを乗せて、再びドイツ・デュッセルドルフ空港に到着しました。一部の子どもたちは、空港から直接病院へ向かい、協力病院が無償で提供してくれる治療を受けます。その他の子どもたちは、病院での治療の前に、スタッフ、医師、そしてボランティアが待っている平和村施設に滞在します。このアンゴラへの援助飛行活動は、今回で60回目になります。 ドイツ国際平和村設立から50年が経とうとしている今になっても現地では、残念なことに、ドイツ国際平和村の継続的な支援がより一層必要とされています。平和村の活動のために、たくさんの人々が関わり、協力して下さっていることは、記事では伝えきることができません。矢倉幸久医師は、日本での病院での勤務の傍ら、2万6千キロも離れたドイツまで平和村の子どもたちのために駆けつけて下さいます。勝田茜作業療法士は、平和村でボランティアとして活動した後、職員として勤務していました。平和村を退職し日本に帰国した後も、この度仕事の休みをとって、子どもたちの帰国、渡独に同行しました。彼女だけではなく、教師をしているボリス、メラニー、医師のマイケもそれぞれ仕事や家庭の都合をつけて、アンゴラに子どもたちに同行しました。彼らが現地の様子、子どもたちの様子についてこのように語ってくれました。 「ドイツでたくさんの人たちが僕を助けてくれました」そのようにジャンバが私たちが問いかけた質問の答えについて話し始めました。彼は以前、平和村を通してドイツで治療を受けていました。私たちが質問した「将来何になりたいか」という問いに対して、彼はもちろん医師と答えました。15歳になるジャンバは、重度の骨髄炎で長い間、ドイツで治療を受けていました。現在、治療を終えてアンゴラへ帰国した後も、治療を終えた子どもたちの家族への受け渡しや新しい子どもたちの渡独準備のお手伝いをしに、定期的に平和村の現地パートナー団体Kimbo Liombembwaに来てくれます。今回、彼は3日間もお手伝いに来てくれました。その内の1日、ドイツから帰国した子どもたちを家族に受け渡す日には、平和村施設で知り合った2人の友達とともに微笑を提供してくれました。ジャンバとこの2人の友人は、帰国後も時折会っています。その時にはドイツ語で話すこともあります。(写真参照) 彼らは平和村スタッフに、手紙と歌をプレゼントをしてくれたのです。この2曲のラップソングは、もちろんドイツ語です!そして、ラップソングの他に、もう1つの曲は、平和村施設で他のたくさんの友達と一緒に歌った思い出の歌でした。「We are the world, … Weiterlesen

武器輸出-小さな武器による子どもたちへの被害

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Japanese version of article „Schlimme Folgen von Kleinwaffen für Kinder“,orgininally posted on 26th of October 2016 2016年10月26日ドイツの武器輸出量は、新たに増加しています。メディアによると、今年だけでも、小型武器用の弾薬の輸出量は、10倍になっています。また、輸出国も変化しました。武器輸出国のトップ10の中には、人権侵害で知られる国もあります。サウジアラビア、アルジェリア、そして25位から8位に急上昇したトルコ。武器を輸入している国は、争いのために武器を必要としている国だとも言えます。これらの事実は、難民の数をおさえるのに必要なことなのでしょうか。それとも、武器を輸出することで、さらに悲しい出来事が増えるのではないでしょうか。 人権保護のための規律を守ること、そして、武器や弾薬の残量のコントロールを改善することに関する連邦政府の誓約は、事実上のことを何も変えません。戦争や内戦、例えばシリアでは、小型武器により多くの市民が殺害されています。国連の報告によると、毎年約20万人が小型武器により死亡しています。これは、世界での惨死のほぼ半数です。 武器の目的は神聖であるべきではありません。アムネスティ・インターナショナルの最新の報告書の中に、シリアでのISに対するアメリカ誘導の「不相応」で「無計画」な軍事連合の侵略で一般市民が苦しんでいると報告されています。 ドイツ国際平和村は、戦争が及ぼすものを知っています。そして、その戦争に、ドイツも武器輸出を通して、加担しているということも知っています。ドイツ国際平和村は、ほぼ50年前から戦争や危機的状況にある地域の子どもたちを援助しています。約30年前からは、アフガニスタンの子どもたちへの支援も行っています。今年8月には、74回目になるアフガニスタンへの援助飛行を遂行できました。この国には、基礎的なインフラが不足していて、子どもたちが直接の被害者になります。通学、十分な食事、年相応の発達の可能性、十分な水、電気、暖房システム、これらは、アフガニスタンでは医療供給と同じくらい贅沢なものなのです。地雷、空爆、ロケット弾爆発、それに小型武器は、どんな時にでも、直接ケガになる原因です。子どもたちは、ケガを負っても、現地では適切な治療が受けられません。ドイツ国際平和村は、「テロとの戦い」という名の国際軍事干渉から15年経っても、悲しい状況があることを知っています。どの州でも安全状況は、整っていません。アヘン生産はレコード記録になるほど増加しています。可能性をもった多くの人がこの国を去っていきます。ドイツ国際平和村は、暴力は暴力反対を挑発すると知っています。人間らしく生きられることを可能にする構造を、国々で作らなければなりません。この方法で、テロを撤廃させることができるのです。

8回目のガンビア援助 -貧困、希望、感謝の気持ち

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Japanese version of article „Achter Friedensdorf-Einsatz in Gambia: Armut, Hoffnung und Dankbarkeit“,orgininally posted on 18th of October 2016 2016年10月15日、治療を終え元気になった子どもたちが6人、ドイツ国際平和村スタッフとともに、母国ガンビアへ帰りました。ベルギー・ブリュッセル空港まで行くのも、セネガルの首都ダカールでの乗り継ぎも、長い時間がかかりましたが、子どもたちはやっと帰国することができました。この子どもたちは、母国では治療のできない病気やケガを治療するために、ドイツに滞在していました。子どもたちに付き添って現地入りしたスタッフは、「もちろん子どもたちは長い飛行で疲れていました。しかし、ドイツから来た私たちに振り返ることなく、喜びにあふれながら家族とともに家路に向かう子どもたちの姿は印象的で、その姿を見れたことを嬉しく思いました。子どもたちはようやく本当に『ホーム』に帰ったのです!」と報告しました。 ドイツ国際平和村は現地パートナー団体「Project Aid The Gambia」とともに、2012年からガンビアへの支援を続けています。複数のコンテナで、緊急に必要な物資も現地に届けており、前回の輸送では何台もの病院用ベッドも送りました。平和村スタッフの現地入り中には、支援が受けられるかを聞くために、ケガや病気を抱えた子どもたちとその家族が面会に来ました。一見設備が整っていそうに見える首都の病院でさえ、人々に提供できる医療状況は整っているとは言えず、また消耗品の物資が不足していることに、現地入りスタッフは驚きを隠せませんでした。反対に、ポジティブな印象として深く残ったのは、それほど期間がたっていない現地パートナー団体に信頼をよせて、活動することができていることです。ガンビアの現地パートナー団体との協力活動は始まってからまだ日が浅いですが、信頼関係が築け、良好な協力活動が行えていることです。「ドイツ国際平和村は、ガンビアでは外国の団体です。ドイツ国際平和村が現地の状況や社会情勢を知っている現地パートナーと共に活動できるからこそ、このように本当に現地の人々が求めている活動や持続的な活動を続けることができるのです。」と、現地入りをしたビアギット・シュティフターは言います。 そして、10月17日、現地入りスタッフが病気やケガを負った新しい子どもたち5人を連れてガンビアを発ちました。協力病院は、この子どもたちの治療を無償で引き受けて下さる予定です。この子どもたちも治療を終えた後、健康に新しい人生を歩む希望とともに、家族の待つ母国に帰るのです。

飢餓と栄養不良-今なおも悲しい現実

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Japanese version of article „Hunger und Unterernährung – Traurige Realität“,orgininally posted on 16th of October 2016 2016年10月16日付 2016年10月16日は、「世界食料デー」です。飢餓に対するキャンペーンがある程度成功を収めてはいるものの、世界中で飢餓に苦しむ人々の数が7億9千5百万人だという数字には驚きます。国際社会が目標と掲げる「2030年までに飢餓人口ゼロ」が、どれほど達成されるだろうかとドイツ国際平和村は懸念しています。メディアの報道によると、子どもの4人に1人が、栄養不良により成長が阻害されています。飢餓の大きな原因のひとつが武力闘争です。ドイツ国際平和村が長く支援を続けている国、アフガニスタンでは、100万人もの欠食児童が存在し、状況は「大変深刻である」と専門家は見ています。また、アンゴラでは、推定データによる数字は少々改善されましたが、飢餓状況が引き続き深刻であることに変わりはありません。同様にドイツ国際平和村が援助を行っている国、タジキスタンでは、全国民の33.5%が栄養不足と推定されています。(2015年のデータ) 約50年にわたる紛争や危機的状況にある子どもたちへの援助活動という経験から、ドイツ国際平和村にとって、飢餓、栄養不足、そしてその健康への影響は身近な事柄です。アンゴラ、ガンビア、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、キルギス、そしてコーカサス地方からの病気やケガを抱えた子どもたちにとって、栄養バランスの良い十分な食事は当たり前のことではありません。しかし、免疫システムと病原への抵抗力を強くする十分な栄養は、健康を取り戻すために重要です。子どもたちの栄養不良な状況を改善するため、ドイツ国際平和村は栄養補助剤を援助国に輸送しています。また、毎年行っているパケットアクションでは、日持ちのする食品をコーカサス地方やタジキスタンの貧困層の人々へ届けています。これらは、人々が厳しい冬を乗り越える助けとなるでしょう。 写真:Jakob Studnar

カンボジアでのプロジェクト活動

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Japanese version of article „24. Projektreise vom Friedensdorf nach Kambodscha beendet“,orgininally posted on 27th of September 2016 2016年9月17日から24日までの間、ドイツ国際平和村代表トーマス・ヤコブスと職員マリア・ティネフェルトが、現地プロジェクト活動の様子を把握するため、東南アジアの一国であるカンボジアを訪れました。ドイツ国際平和村は、2002年以降、カンボジアの特に人里離れた地域に、基礎健康診療所を建設するプロジェクトを行っています。 ドイツ国際平和村が設立された当時は、ベトナムへの援助を行っていました。現在は、そのベトナムに隣接したカンボジアで、この貧しい国のインフラが整い、よりよい生活状況になるよう、現地プロジェクト活動を進めています。カンボジアでも旅行者が増えている地域もあり、道路工事に資金や労力を注いでいますが、地方に住む人々の生活は酷い状況です。 雨期に主要路以外の砂利道などを使うと、四輪駆動車でも、10キロの距離に1時間もかかります。また、地方に住む人々はほとんどが農業従事者で、学校も医療処置が受けられる場所も彼らの近くにはありません。だからこそ、カンボジアには、まず初期治療が受けられる基礎健康診療所が必要となってくるのです。 ドイツ国際平和村チームは、訪れた基礎健康診療所が効率的に機能していること、そして、「基礎健康診療所建設プロジェクト」の必要性を改めて感じました。28ヵ所目となる基礎健康診療所は、来月末に完成します。また、この視察で訪れた多くの場所で、診療所の必要性が見られ、新たな建設の依頼も受けました。いくつかの基礎健康診療所が、来年または再来年建設される見通しです。カンボジアの気候を考え、いくつかの基礎健康診療所は、高床式に建てられなければなりません。プレイベン州やトボンクムン州のような多くの地域では、何ヶ月もの間、水害があり、ボートで移動しなければなりません。基礎健康診療所の周囲12キロに住む約6,000人もの住民にとって、初期治療、妊婦検診、出産、予防接種が受けられる基礎診療所があることは大きな財産です。 また、この国では、何十年もポルポト政権が続いたため、支援がまだまだ必要です。小児病院は、数軒、大きな都市にしかありません。また、整形外科の専門病院は1千5百万人が住むこの国に、たった一軒しかありません。 代表トーマス・ヤコブスと職員マリア・ティネフェルトは、Knorr Bremse財団が援助している幼稚園プロジェクトも視察しました。この幼稚園はプノンペンのゴミ山で生活する子どもたちが通っています。この子どもたちを支援するプロジェクト内容にも賛同し、支援を行う予定です。 今回のカンボジア訪問においても、長年、共に活動を続けてきたカンボジアの現地パートナーとの協力関係、それに不遇な生活状況にあるにも関わらず、この国の人々が愛情溢れ、生きる喜びに溢れていることに、胸を打たれました。   … Weiterlesen

天気に恵まれたドルフフェスト2016

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Japanese version of article „Dorffest lockte viele Besucher“,orgininally posted on 12th of September 2016 2016年9月12日付 9月とはいえ夏の日差しの強さを感じさせた先週土曜日、ドイツ国際平和村の毎年恒例のお祭り「ドルフフェスト」に、近隣から、また、遠方からも多くの皆さんがお越しくださいました。 今年のステージプログラムは、音楽がメインで、多くの観客を魅了していました。クラッシックオペラからフラダンス、和太鼓のグループTAIKO-KIDS、メナーコーアとさくらコーアによる混声合唱、そして最新のヒップホップ曲にR&Bやネオ・ソール。もちろん、平和村施設で生活している子どもたちによる発表もありました。 午後3時からは、「Youth 4 Peace」というプロジェクトに参加した人々の表彰がありました。これは、ドイツ国際平和村・平和教育部門が中心となって他のオーバーハウゼン市の団体とともに進めていたプロジェクトで、ドイツ各地からの応募がありました。「誰もが積極的に平和のためにできることがある」ということをモットーに、それぞれのグループがアイディアを実行しました。当日お越し下さったオーバーハウゼン市市長が、アイディアの多様さを高く評価して下さいました。 ステージプログラムに加えて、多くのスタンド屋台が訪問者を楽しませていました。ジャム、オリーブオイル、アクセサリー、雑貨、平和村のパケットアクション用のパケット など、様々な物が新たな持ち主の手に渡りました。福引のトップ商品に喜ぶ人々もいました。もちろん、多くの訪問者が様々な料理に舌鼓を打ちました。アフガニスタン、アンゴラ、トルコ料理に加え、ドイツでよく見かけるジャガイモ料理、春巻き、焼きアーモンド、クレープ、ワッフル、ケーキ、グリルなどのスタンドがありました。 このドルフフェストから、今年のパケットアクション活動が始まりました。これは、アルメニア、ナゴルノ・カラバフ、そしてタジキスタンの困窮にある人々への援助活動です。今もなおこれらの国々では生活に苦しんでいる人々がいます。この活動によって、日持ちのする食料品などが詰められたダンボール箱が、厳しい冬を乗り越えるための糧になるだけでなく、人々に勇気と希望を送ることにもつながっています。 ご支援、ご協力下さった多くの皆様のお陰で、今年のドルフフェストも大成功を収めることができました。ありがとうございました。 写真:平和村の子どもたちを巻き込みお祭りを盛り上げたJ-JDさんのステージ  

2016年8月2日 カブール

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Japanese version of Afghanistan Blog アフガニスタンの人々の状況が過去数か月で、さらに悪化している印象を受けました。地方から危険な道のりを経てカブールまでやってきた家族から、私たちが聞いた話はとても悲しいものです。例えば、すでに7人の子どもを失った母親がいるといった話です。 しかし、ここカブールでは、素敵な経験や出会いもあります。以前、ドイツ国際平和村が受け入れた子どもたちがすでに父親や母親になっていることもしばしばあるのです。この“かつての子どもたち”との再会は感動的です。私たちが“ドイツ国際平和村と赤新月社チーム”として、ドイツで治療を受けた子どもたちに希望溢れる未来への望みを与えたというだけではなく、子どもたち自身がこのチャンスをきちんと活用していることを、この再会が証明してくれます。身体的な制限があっても、周りの人を手助けできることや国籍や宗教が異なっていても、共に平和に生活することが可能であるということを子どもたちはドイツで経験しています。それらの経験が、彼らが目指す未来をさらに支えているのです。 ある男性に再会しました。彼は、紛争で受けた怪我の治療を1998年にドイツで受けました。気管切開と脚の切断手術を受けましたが、現在仕立て屋として仕事をこなし、3人家族の大黒柱となっています。ユーモア溢れ明るい性格の彼は、どんな状況も乗り越えていけることを私たちに示してくれています。 16歳の女の子との再会も印象的でした。やけどを負い、ドイツで何度も手の手術を受けました。当時はほとんど動かせなかった両手が、今では様々な生活の場で活用されています。現在彼女は学校へ通い、ほぼパーフェクトな英語を話します。彼女は自分自身の手で英語を書くことができることも見せてくれました。将来の夢は医師になり、自分がドイツ国際平和村に救ってもらったように、たくさんの人々を助けることだそうです。 たくさんの出会いがありました。この出会いが証明してくれることは、ドイツ国際平和村の活動が、たとえ焼け石に水だとしても、意味があるということです。私たちすべてのスタッフにとって、たくさんの皆さんからいただく、さまざまな支援のおかげで、子どもたちにポジティブな転機を与えられることは、大変ありがたいことです。今日も、ある7歳の少女との出会いがありました。彼女は西アフガニスタンの山岳地帯からやってきました。父親は、自身も戦争で両足を失いました。彼は山岳地帯からその州の州都まで、重傷を負った娘と移動しました。そして、そこからカブールまでは飛行機での移動です。この移動のため、父親は借金をしなければなりませんでした。帰路にはバスを使う予定で、6日もかかると話していました。父親が娘のために尽力したことが敬服に値すること、そして、少女が患っている重度の骨髄炎のドイツにおける治療が決まったことを、現地パートナー団体がこの父親に伝えたところ、威厳を大事にする父親が大粒の涙を流していました。 ここアフガニスタンでは、テロリストには出会いませんと断言したいです。そうではなく、ここには絶望した家族たちがいます。彼らは世界の誰もが願うことを待望しています。それは、健康であることと保障された将来の見通しです。空腹、痛み、不安、絶望に制されるのではなく、少なくとも最低限の「衣食住」の確保と人権が保障されることです。アフガニスタンは、まだそこまで辿り着いていません。そのために、私たちは力や手段、可能性や想いを投資するべきです。 外国の軍隊の駐留が、この国の治安をますます劣悪にしたとは断言できませんが、ヨーロッパの政治が、過去何十年もの間、平和な世界の実現や、人々が難民として故郷を離れる原因を阻止することができなかったことを忘れてはいけません。何億万ドルもの軍事費支出は、この国の構造改革に活かされたとは言えないでしょう。ドイツ国際平和村は何度も訴えてきました。平和は戦争では作ることができないと。社会構造の改善こそがテロを撲滅し、平和な世界を構築するためのチャンスなのです。 2016年7月31日 カブール ハロー、皆さん。 この4日間、私たちはここカブールで何百もの家族との面会を行いました。家族は、ケガや病気を抱えた子どもたちが治療を受けられることを一心に願って、現地パートナー団体までやって来るのです。 誇り高き父親、絶望した様子の母親、何度も感謝の言葉を述べてくる祖父、痛みに我慢強く耐えている子どもたち、喜びで笑顔にあふれている叔母、不安げに見つめる叔父、興味津々に様子をうかがっている兄弟姉妹、私たちは、たくさんの家族とその子どもたちに出会いました。家族とその子どもたちは、アフガニスタン各地から現地パートナー団体のオフィスまでやってきます。その中には、農業や日雇い労働として生計を立てている人々もいますが、教員やエンジニア、ビジネスマンとして働いている人たちもいます。貧しい人々と比較的余裕のある暮らしをしている人々の違いは、すぐに分かります。立ち居振る舞いでもですが、子どもたちが抱えている病気やケガの症状でもそれがうかがえるのです。支援を必要としている子どもたちの家族が皆、現地パートナー団体のあるカブールまで危険も伴う長い道のりを超えて来ることができるわけではありません。それはつまり、私たちは治療が必要な子どもたち全員を支援することはできないということです。地方に住んでいる家族にとって、現地パートナー団体までの道のりには、多くの障害がはばかっているのです。 一方、ドイツに来ることになった子どもたちは、その家族にとって、そして現地パートナー団体の人々にとって大きな希望となります。現地パートナーは、私たちの活動のオーガナイズや、子どもたちの渡独に向けて必要になる書類を、かなりの労力とエネルギーをかけて準備してくれています。 昨日、最初に申請した子どもたちのパスポートも手元に届きました。私たちは、子どもたちとの面会と同時進行で、現地パートナーと協力して、ビザ申請のために必要な書類を準備しています。この書類は、アフガニスタンにおいて今なお悪化している情勢下では、用意するのが簡単ではないものが少なくありません。 ドイツ国際平和村がアフガニスタンの支援を始めてから28年になり、今回の援助飛行は74回目です。今回も、子どもたちのための支援を滞りなく行えることを願っています。   2016年7月29日 カブール おはようございます、皆さん。 私たちは27日(水)に、アフガニスタンの首都カブールに着きました。アフガニスタン現地パートナー団体の赤新月社には、すでにケガや病気を抱えた子どもたちとその家族が私たちの到着を待っていました。私たちは今日も朝早い時間から、子どもたちとその家族との面会を行っています。家族が私たちとの面会のために、長い時間辛抱強く待ち続けていることには、ただ驚くばかりです。  

ルーマニアへの支援 ―1990年から現地パートナー団体とともに行っています― 2016年7月21日付

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Japanese version of article „Friedensdorf Partner in Rumänien …“ 7月初頭、ドイツ国際平和村スタッフが、ルーマニア西部のチェナドとスンニコラウ・マーレという町に向けて出発しました。トラックには、1,4トンの援助物資を積み込みました。衣類、車いす、様々な医療備品や機器、そして超音波器1台が、長年共に活動しているパートナー団体を通して、物資を必要としている人々に送られます。   現在、ルーマニアでは以前から続いている汚職関連の記事が新聞の見出しを飾っています。ルーマニアの主要都市の約3分の1の都市において、汚職や権力の乱用が発覚し、地方選挙が行われたました。公務員の減給や深まりつつある国民の貧困が、この国で日常に広まっている汚職の理由と見受けられます。このような状況下、ドイツ国際平和村が支援物資を人々に届けるのに大切なことは、信頼できる長年のパートナーの存在です。 ルーマニアには、その経済状態の悪さや生活水準の低さから、仕事を探すため、他のEUの国へ移住する人々が多いです。ルーマニアは2007年からEU加盟国ですが、いまだにEUの中で最貧国の一国として数えられています。欧州への難民の受け入れについて、当初ルーマニアは反対していましたが、現在ルーマニアでもイエメンやシリアからの難民を受け入れています。ルーマニアの経済状況や課題を考慮すると、難民を受け入れるのは大変なことです。 先日、月200ユーロだけの給料に対して、公務員によるストライキが行われましたが、労働組合はまだここにはありません。人々が2つから3つの仕事を掛け持ちして、週6日から7日間働き通しで生活費を稼ぐことはよくあることです。年金収入が月100ユーロ以下である年金受給者には、EUより食料品が配給されていますが、年金受給者の多くは、月あたりの年金収入が10ユーロから20ユーロなのです。健康保険は、収入の約4分の1も支払わなくてはならないのに、薬や手術に必要な備品の費用は追加で支払う必要があります。 状況が良くなっていく兆しが見えても、その傾向や希望が続く気配はありません。若年層の人々が仕事やより良い生活を求めて母国から去っていく一方で、年配の人々は無関心になってしまい、状況が変わるという期待を持っていません。 このような様々な問題や課題を踏まえ、ドイツ国際平和村は、ルーマニアの人々への定期的な支援の重要性を改めて認識しています。 写真:ルーマニアへ送った支援物資

設立より49年―まだ見えぬ平和な世界 2016年7月6日付

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Japanese version of article „NACH 49 JAHREN FRIEDENSDORF: KEIN FRIEDEN IN SICHT“ 設立より49年―まだ見えぬ平和な世界 2016年7月6日付 ドイツ国際平和村は設立当初、一時的に活動するため設立されました。しかし49年経った今も、ドイツ国際平和村は活動を続けています。 当時、設立に携わった人々は、いつの日か戦争がなくなり、必要な医療が母国で受けられる世界になるという望みを抱いていました。 紛争や危機的状況の地域では、病気やケガを負った子どもたちへの支援はいまだに必要とされています。ドイツ国際平和村が設立されてから約50年経った今日、より一層多くの戦争や危機が世界の人々を苦しめています。現在、6,500万人の人々が母国を追われ、難民になっています。これほど多い人数はこれまでありませんでした。国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)の調査によると、ソマリア、シリア、アフガニスタンの三カ国からの難民が難民全体の半数以上を占めています。そして、その難民の50パーセント以上は、18歳以下です。この数字は、大変驚くべきものです。   「設立から現在までの変化、それに、暴力的に問題を解決しようとする傾向は変わらず、むしろ益々ひどくなっている。この状況に大きな懸念を抱いています。」と、ドイツ国際平和村代表のトーマス・ヤコブスは言います。メディアによると、ドイツは危機に瀕した国々の支援として軍隊を配置することを挙げていますが、このような方法に私たちは反対します。 1988年以来、ドイツ国際平和村はアフガニスタンを主な支援国の一つとして支援し続けています。年に2回、ドイツ各地の協力病院で治療を受けるために、ケガや病気を抱えた子どもたちがチャーター機によって渡独します。そして、チャーター機の復路便で、治療を終えた子どもたちが母国の家族のもとに帰ります。子どもたちは、多くの場合、もう一度生きるチャンスを手にし、人々は宗教や文化の違いを越えて一緒に暮らすことができるという自分たちの経験を母国へ持ち帰ります。今年も8月に74回目となるアフガニスタンへのチャーター機による援助飛行を予定しています。 ドイツ国際平和村の49年の歴史と約29年間続けてきたアフガニスタンの子どもたちへの支援活動から、軍の介入は情勢の安定、そして平和をもたらさないことを私たちは確信しています。ドイツ国際平和村はこれまでの経験から、医療、教育、社会福祉の分野へ投資することのみが、テロをなくし、平和を実現できる手段だと思っています。国が発達するための支援金も、早急に医療や社会のインフラ改善のために使用されるべきです。それにより、治安や情勢の安定、国の発達、そして平和が実現できるのです。   写真:何十年もの間、アフガニスタンでは不安定な情勢が続いています。Uli Preuss    

キラキラ輝く子どもたちの瞳 ―平和村お祭りPeace im Pott2016 を終えて― 2016年7月4日付

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Japanese version of article „Peace im Pott 2016 in Dinslaken und Oberhausen“ ドイツ国際平和村の夏のお祭り「Peace im Pott」は、数年前に行っていたように、平和村施設で行うだけではなく、施設周辺のライブ会場Walzwerk(ヴァルツベルク)でも開催しました。7月1日(金)に、「Zelle Band」、「Orphans of Rock」、「Cold Sweat & the Horny Horns」といったバンドがライブ会場で演奏し、250人以上の人々が来場しました。「来年も私たちはこのイベントに協力し、ドイツ国際平和村を支援します」と、Walzwerk(ヴァルツベルク)の経営者Tommy Grosseさんは言いました。   平和村施設でのキラキラ輝く子どもたちの瞳 … Weiterlesen

ガンビアへの援助飛行が無事終了しました

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Japanese version of article „Gambia Hilfseinsatz erfolgreich beendet“, orgininally posted on 15th of June 今回のガンビアの訪問で、平和村現地入りスタッフは、思いがけない再会を果たしました!ケビン・ダールブルフとマイケ・ヴェルデマン医師が、治療を終えて元気になった5人の 子どもたちに同伴してガンビアへ発った際、飛行機でその再会がありました。子どもの1人が、近くに座ったアジア系の乗客に、物怖じせず人懐っこい様子で「日本人なの?」と話しかけました。ドイツ国際平和村は、日本と繋がりの強い団体で、今までにも多くの日本人ボランティアが活動に参加しています。彼は、その乗客の風貌に、お世話をしてくれていた日本人ボランティアの面影を感じたのでしょう。予感は的中しました!その乗客は「そうだよ」と答えて、さらに「僕は、君たちがドイツのどこから来たのかも知ってるよ」とも言ったのです。高橋祐亮さんは、ドイツ国際平和村で2004年にインターン生(ボランティア)として、子どもたちの身の回りのお世話を担当してくれていました。そして今、仕事の出張でガンビアに向かっていたのです。 元気になった子どもたちと家族が再会した時の喜びを感じるのは、大変嬉しい瞬間です。しかし、このガンビア滞在で、大きな喜びを感じたのはほんの一瞬でした。現地の医療状況は劣悪です。専門知識を持った医療従事者が不足しています。たとえ現地に、医療物資が十分にあったとしても、医師たちの許容範囲を超え、これ以上患者を治療することはできないでしょう。心臓や食道における複雑な疾患は現地では治療が困難です。今回治療のために渡独した8人の子どもたちのうちの1人は、園芸ホースのような太い胃管をつけていました。 ガンビアでの活動は、現地パートナー団体「Project Aid The Gambia」と協力して行っており、ドイツ国際平和村と良好な協力関係が保てています。また、現地入りスタッフの宿泊費はドイツ・オーバーハウゼンの旅行会社が負担してくれました。 ドイツ国際平和村は2012年から、アフリカのこの小さな国への支援を続けています。この国は資源がないため、経済発展をすることができていません。この国の経済は、亡命したガンビア人たちや外国人旅行客からの外貨に頼っています。国民の半数は貧困層で、病院は首都バンジュールとその地域に数軒しかありません。地方には基礎診療所がありますが、勤務しているのは看護師や助産師のみで、ベッド数は少ないです。また施設装備も古く、十分に機能しないものがほとんどです。緊急に薬が必要になった時は、患者もしくはその家族が自己負担しなければなりませんが、多くの場合、家族は支払うだけのお金がありません。

アルメニアとキルギスで「国際子どもの日」のお祝い!

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Japanese version of article „Internationaler Kindertag“, orgininally posted on 6th of June アルメニアとキルギスの現地パートナー団体から、「国際子どもの日」を祝ったパーティーの写真が届きました!現地パートナーたちが進めている治療プロジェクトを受けている子どもたちが中心となってお祝いしました。子どもたちは踊り、共に笑い、楽しい時間を過ごしました。現地パートナー団体は、現地ではその日に慣例となっている「子どもたちへのプレゼント」を用意しており、子どもたちに贈りました。 「国際子どもの日」の始まりは、1925年開催の「ジュネーブの子どもの福祉世界会議」にさかのぼります。各国がそれぞれ「子どもの日」を設定し、例えばドイツでは9月20日を「世界子どもの日」としており、それぞれの日に子どもの権利を尊重する機会や啓蒙活動が行われています。  

第59回アンゴラへの援助飛行が無事終了

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Japanese version of article „Gemischte Gefühle“, orgininally posted on 13th of May 2016.   2016年5月13日付   アンゴラの首都ルアンダを出発したチャーター機が、5月17日(金)早朝、デュッセルドルフ空港に到着しました。そのチャーター機に搭乗してドイツへやって来た子どもたちは、それぞれ予定された場所に向かいました。その子どもたちの中には、かなり重度のやけどや骨髄炎を抱えている子どもたちもいましたが、既に協力病院に到着、または移動中です。協力病院への入院の前に一旦、ドイツ国際平和村の施設にて滞在する子どもたちもいますが、施設にてまず夜間飛行の疲れをとります。 そしてドイツ国際平和村本部では、多くのスタッフが集まり、ミーティングを行いました。第59回目のアンゴラ援助飛行に際し、先に現地入りして準備したスタッフや援助飛行に同行したスタッフからの報告がありました。   援助飛行前から現地入りしていたケビン・ダールブルフは、「様々な感情が入り混じった状態でドイツに戻りました。」と報告しました。「アンゴラの状況は、半年前の援助飛行の際に比べて、劇的に酷くなっています。」国の予算としてほぼ90パーセントを石油生産に頼っていたため、原油価格の下落がこの国に打撃を与えています。「一般的なジュース1リットルが約7ユーロもしました。また、首都の中でも環境が良いとされている地区でも、ごみの中に活用できるものがないかを探している人々を見かけました。」経済成長によって、少なくともアンゴラの中流層の人々の状況は少し改善されましたが、その改善はもう見られません。オムツ1パックの価格が60アメリカドルもするのです。それは、一般の人々の手に届くものではありません。 「援助の必要性は大きいです」と、ダールブルフとともに現地入りしていたマリア・ティネフェルドは言います。「アンゴラ政府からのサポートは、残念ながらほぼありません。」 それは、在ルアンダドイツ大使館とは対照的です。「ドイツ大使館のスタッフは、ドイツ国際平和村の活動に関心を持ってくれていて、大変協力的です。しかも、ミューラー大使は、ご自身の誕生日にかかわらず、ドイツからアンゴラへ戻った子どもたちと再会を喜んでいる家族との面会に立ち寄ってくださいました。」   今回の援助飛行には、日本人2人も同行しました。ドイツ国際平和村で日本の方々とのやり取りを担当しているスタッフである金巨未来と、北海道の病院で整形外科医として勤務する傍ら、年に4回ドイツにて援助活動を支えてくれている矢倉医師です。2人とも今回初めて、ドイツ国際平和村の援助国へスタッフとして向かいました 。 「私にとって、たいへん重要で意義のある日々となりました。」と矢倉医師は言います。「子どもを自身の胸に抱きしめられるときの両親の喜びは言葉に表すことができないほどです。これからもドイツ国際平和村を支援します!」とまとめてくださいました。   金巨未来は、チームとしてのドイツ国際平和村について語りました。「アンゴラでの時間は、現実を見た時のもどかしく、悲しい気持ちや、支援が確実に人々のもとに届いていることへの嬉しさなど、様々な感情が入り混じっていました。」と言います。「平和村スタッフやボランティア、日本、ドイツ、その他の国の皆さんとドイツ国際平和村を通して関われること、そして共に活動できていることに心から感謝します。平和村と出会えたことで、私はこんなにも幸せに生きることができています。皆さんと関わらせて頂く中で、皆さんから他者のことを想うということを学びました。世界中の人々が他者を想い、自分のできることで行動を起こしていけば、いつか世界は平和になると信じています。」 … Weiterlesen

病院をはしごしながら

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Japanese version of article „Neues Leben nach Klinik-Marathon“, orgininally posted on 21st of April. 2016年4月21日付 ウミジョンという男の子の運命は、エドガー・アラン・ポーの小説を思い浮かばせます。彼は腹ばいのまま姿勢をかえることができませんでした。彼は、ものを掴むことも、脚を動かすことも、寝ている姿勢の角度を変えることもできません。誰かのお世話にならなければ、彼は生きることができませんでした。2010年に、はじめて彼がドイツ国際平和村の活動を通して治療にやって来た時、彼は好奇心にあふれた目をしていて、色々なものを吸収しようとしていました。ウミジョンは、優しくてかしこい男の子です。彼は先天性の病気により、日常生活を送るのが困難になっていました。体中のいくつもの関節に障がいを抱え、体を動かすことが困難になっていたのです。医師の診断結果は「体を全く動かすことができず、四肢のほとんどの部分が成長せず、短くなっている。」というものでした。しかし、他の子どもたちと同じように、ドイツ国際平和村の活動により、治療を受けることができたのです。 このウズベキスタンの男の子のために、病院リレーが始まりました。彼は3回渡独し、12回以上もの手術を受けました。筋肉や皮膚の移植、ギブスや器具の固定。足に創外固定具の装着。ウミジョンは治療に勇敢に向き合いました。腹ばいで寝ている状態から、はじめて彼が座ることができた時、彼は嬉しくて涙がでました。少しずつ少しずつ状態は良くなっていきました。彼は、筋肉をつけるためのリハビリにも痛みに耐えて果敢に取り組みました。昨年のドイツ国際平和村の年末のパーティーの時には、ウミジョンは自分の足で立ち、短い間ですが松葉づえをつきながら歩くことさえできるようになっていました。支援して下さった様々な分野の専門家や、無償で治療をしてくれる協力病院により、ウミジョンは生きる可能性を広げることができました。 ドイツ国際平和村でウミジョンは、車椅子を乗る練習をしています。これからも彼は一生、車いすに乗って生活することになります。彼は、障がいのない人とは違う人生をこれからも送ることでしょう。しかし、母国にいる彼の家族にとって、彼の存在は何ものにも変えられないものです。また、障がいを抱えていない人たちも、車いすで生活しているウミジョンのような人々のことを理解しようとする理解や歩み寄りが必要です。

熊本地震に際し

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Japanese version of article „Erdbeben in Japan“, orgininally posted on 19th of April.   2016年4月19日付 この度の熊本地震に際し、ドイツ国際平和村スタッフ一同、大変心を痛めています。以前よりドイツ国際平和村を支援してくださっている熊本在住の方からは、震災後車中で夜を明かしたり、断水が続いているという連絡を受けています。それでも身体が無事で安心しているが、まだ余震が続くのでとても不安だということです。 余震はまだまだ続き、震災での被害はここドイツでも連日伝えられています。この地震は、5年前に東北で起きた東北地方太平洋沖地震を思い出させます。当時は地震による津波の影響で、福島第一原子力発電所事故が発生しました。今回は原発に影響はないと発表されています。 今回地震が起きた九州にはドイツ国際平和村支援サークルが二団体あります。一つは、福岡の「ふりーでんす福岡」。もう一つは、地震で甚大な被害を受けた大分にある立命館アジア太平洋大学の「Peece×Piece」という支援サークルです。先日、「Peece×Piece」のメンバーより連絡があり、このサークルのメンバーは全員無事とのことで、ドイツ国際平和村スタッフ一同、安堵しました。 ドイツ国際平和村スタッフは、被災された皆様のことを気にかけています。皆さんがこの事態を乗り越え、復興していくことを心から祈っています。「早く余震がおさまりますように、そして早く復興していきますように!」 写真:熊本県立大学の一室。平和村支援サークル「Peace×Piece」

「敵だ、怖いヤツだ」と思っていたけれど…

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Japanese version of article „Wenn aus Feiden Freunde werden“, orgininally posted on 12 th of April. 2016年4月11日付 スリランカでは、2009年まで続いていた内戦で犠牲になった一般市民の死者は数千人、故郷を去らざるをえなくなった人は約25万人にもなります。また約240もの自爆テロも引き起こされました。これは、世界全体で見ても相当大きな数になります。 このような悲劇が起きたスリランカの内戦による負の遺産がなくなっていくように、ナタンディア平和村では90年代より定期的に異文化・異民族間の交流イベントを開催しています。シンハラ人、タミル人、イスラム系住民の子どもたちは、文化、民族、宗教を超えてお互いを認め合うことが可能だということを、このイベントで学びます。スリランカでは、内戦が終結して7年経った今でも、各民族間で平和的な共生が実現できていません。 4月12日(火)から4月14日(木)まで、スリランカで「シンハラ・タミル・ニューイヤー」というフェスティバルが開催されました。120人ものタミル人とシンハラ人の子どもたちが、このフェスティバルを楽しみました。彼らが、この国を平和に近づける担い手になっていくことでしょう。また、このフェスティバルの開催は、スリランカの人々だけではなく、多くの人々にとっても平和について意識を向ける良い機会になることでしょう。ナタンディア平和村は人々の相互理解の場として利用され、ドイツ国際平和村は、ここでの活動をスリランカにおける現地プロジェクト活動として支援しています。 写真:和やかな雰囲気に包まれ、刷り込まれていた偏見がなくなっていきます。

国際地雷デー(4月4日)に際して 

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Japanese version of article „Internationaler Antiminentag“, orgininally posted on 4 th of April 2016. 2016年4月4日付 2016年3月、一筋の希望の光が差しました。スリランカが「対人地雷禁止条約(通称オタワ条約)」に調印しました。これで調印した国は163カ国になります。一方、まだ調印していない国が33ヵ国もあります。中国、ロシア、アメリカ、パキスタンなど、この無差別に人々に被害を与える武器を製造することによって何十億ものお金を儲けている国々は、その収入源を失いたくはないのでしょう。 毎年11月に公開される地雷レポートの2015年版によると、2014年に3678人が地雷被害により死亡しました。その中の80パーセントが一般市民で、そのうちの39パーセントが子どもでした。しかし、この報告に計上されていない国々はたくさんあり、特に戦争が続いているシリア、イラク、イエメンの国々を含めると、かなりの数になります。それらの国々に加えアフガニスタンでも対人地雷で多くの人々が犠牲になっており、2014年は1200人以上が死亡しています。 ドイツ国際平和村は、地雷の被害にあった子どもたちにドイツでの治療を提供しています。全ての子どもたちが、手足の切断を免れるわけではありませんが、たとえ自分の手足を失ったとしても、義手義足を装着することによって、彼らは再び動けるようになり、人生への希望を取り戻すのです。アフガニスタンの女の子、ゼタラもその一人です。 ゼタラは、オタワ条約では禁止と明記されていない対戦車地雷の被害にあいました。彼女が乗っていた車が対戦車地雷を踏んでしまったのです。同乗者2人は死亡しました。また、叔父は重傷を負い、両脚を失いました。ゼタラはパキスタンの病院で右脚を切断しました。2014年8月、ゼタラは治療のためドイツにやって来ました。左脚を保持するためには、幾度もの複雑な手術が必要でした。右脚には義足の装着をしました。今年2月、ゼタラは再び元気を取り戻し、2本の脚で立って、家族のもとに帰国しました。ドイツ国際平和村のアフガニスタン現地パートナーである赤新月社の事務所にて、彼女は父親に迎えられ、喜びにあふれていました。 しかし、彼女の治療はまだ続いており、ゼタラは治療箇所の経過確認と体内にある金具の取り外しのために、ドイツにもう一度来なくてはいけません。 対人地雷、対戦車地雷やクラスター爆弾、その他様々な武器によって傷つき、苦しむたくさんの子どもたちに、ドイツ国際平和村は何年も寄り添ってきました。私たちはこれらの武器の製造と使用の廃止を訴えます。 写真:久しぶりにお父さんと再会して

ブリュッセルでのテロによせて

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Japanese version of article „Entsetzen und Mitgefühl“, orgininally posted on 22 nd of March. 2016年3月22日付 ブリュッセルのテロで重傷を負った皆様、殺害された方々の遺族、ご友人の皆様に、想いをよせています。フランス、トルコ、マリ、コートジボワール、そして今度はベルギーと、テロ事件が後をたちません。何百人もの犠牲、不測で容赦のない暴力。愕然とし、言葉を無くします。 そしてブリュッセルの空港と地下鉄の事件は、安全な場所はどこにもなく、今度どこが標的になるのか分からないという不安を大きくさせました。悲惨なテロの惨事とこの漠然とした不安とどのように向き合えば良いのでしょうか。不安を抱くことは、何の解決策にもなりませんが、確かに私たちの胸のうちに存在しているのです。しかしこの不安にさいなまれると、例えば身の安全のために必死に母国を去り、今支援を必要としている難民の人々にテロの罪をきせてしまうような考え方に陥ってしまいます。 ドイツ国際平和村は、約50年もの間、世界各地に支援を行っています。中央アジア、東南アジア、アフリカ、コーカサス地方。その国の人々の多くがイスラム教徒であろうと、キリスト教徒であろと、仏教徒であろうと、支援している国の大多数の人々が共通して願っていることが一つあります。平和であり安全である場所で住みたいという願いです。ドイツ国際平和村スタッフは、テロ事件によって引き出されている他者と共存することへの不安に打ち勝ち、テロの恐怖に支配されない平和な世界を皆さんと築いていけるよう心から願っています。 写真:Torsten Silz

2週間で3ヵ国をまわって

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Japanese version of article „3 Länder in 2 Wochen“, orgininally posted on 23 rd of March. 2016年3月23日付 タジキスタン、キルギス、ウズベキスタン。ドイツ国際平和村のスタッフが中央アジアへの訪問を終えドイツに戻りました。現地入りしたスタッフにとっても、様々なことを感じ、感銘を受けた訪問でした。 どの訪問地でも絶望した顔の家族が、重いケガや病気を抱えた子どもや体が不自由な子どもを連れて面会にやって来ました。現地パートナー団体の協力により、子どもたちがドイツで治療を受ける必要があり、またドイツで治癒の見込みがあるかどうかの調べをすすめました。面会にやって来る子どもたちは、1日約200人ほどにもなりました。「子どもたちの気丈さには感服します。子どもたちは面会を何時間も待っており、また、ケガの患部が痛んでいるはずなのに、私たちに心からの笑顔をむけてくれるのです。」スタッフは、帰国後の会議でこのように報告をしました。 面会にやって来るのは、これから治療が必要な子どもたちだけではありません。以前平和村に滞在し、治療を受けた子どもたちや、現在ドイツで治療を受けている子どもたちの家族も、現地入りしたスタッフに会いにやって来ます。「私たちは家族に、ドイツでの治療の経過を伝え、子どもたちから託された家族宛ての手紙や写真を渡すことができました。涙を流して喜んでいた家族もたくさんいました。」と、スタッフは報告しました。 子どもたちへの支援は、現地パートナー団体の協力なしでは続けることができません。そして、ドイツ国際平和村が、現地で長期にわたって継続的な支援を続けることができているのは、皆様のご支援、ご協力があるからです。皆様お一人お一人の温かいお気持ちに心より感謝申し上げます 写真:現地入りしたスタッフが帰国し、現地の報告をしています。

国連水の日-水が存在してこその生命

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Japanese version of article „Ohne Wasser kein Leben“, orgininally posted on 22 nd of March. 2016年3月22日付   2010年、国連総会にて、清潔な飲料水を得る権利が基本的人権のひとつとして盛り込まれました。しかしながら、いまだ改善が必要です。現在、世界中では、7億5千万人もの人々が、清潔な飲料水を得る術を持っていません。また、約25億人の人々が衛生的なトイレを利用できていません。清潔でない水は、様々な病気の原因となっています。ユネスコ(国連児童基金)の報告(2015年)によると、特に貧困層の人々に大きな影響が出ていませす。   ドイツ国際平和村の現地プロジェクト活動においても、清潔な水の確保を重要視しています。不衛生な水が原因で、例えば子どもたちが下痢になってしまい、重病の疾患を抱える、もしくは死亡することが多いからです。 そこで、カンボジアとアフガニスタンでは、持続可能な井戸の構築を支援するプロジェクトを行っています。カンボジアでは、現在までに26ヶ所、井戸を備えた基礎健康診療所を建築しました。それぞれの地域によって、5千人から1万人の人々に、衛生的な水の供給が可能になりました。飲食に使用するため、もしくは衛生的に日々の生活を送るために、多くの家族が必要としていました。   アフガニスタンでは、過去数年、干ばつが発生しています。そこで、ドイツ国際平和村は、German Medical Serviceという援助団体と協力して、カブール郊外に井戸を建築するプロジェクトを資金援助しました。2ヶ所目の井戸の建築も、カブール市の中心から離れた場所に計画しています。井戸の管理と水質の保持のため、井戸深くに監査カメラも設置しました。それにより、水質の異常を早期に発見でき、必要な洗浄や修理などの対応が可能になります。上記のドイツの援助団体は、44年間、アフガニスタンで活動しており、結核専門のクリニックや作業場を運営しています。この作業場は、16軒の病院からの医療機器や家庭用機器の修理任務を担っています。これらの病院では、頻繁に送水ポンプが故障するため、ドイツ国際平和村は、交換用の井戸用ポンプの代替部品を支援することにしました。この支援は、病院が滞りなく機能するための一助となるはずです。   … Weiterlesen

東日本大震災とフクシマの悲劇 – 5年前のあの時 – 2016年3月11日付

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Japanese version of article about „Fukushima“ originally posted on 16 th of March 2016 世界中で多くの災害が発生している今日、ドイツでは5年前の惨事が薄れつつありますが、3月11日、大地震、津波、原発被害にあった方々へ想いを寄せています。ドイツ国際平和村の関係者にとってはあの時のことは今でも強い印象が残っています。 平和村の元住み込みボランティアで、現在はミュンヘンの平和村支援サークルで活動しているKさんは、5年前のあの時、東京の勤務先で働いていました。当時のことを思い返し、語ってくれました。 「あの時、まず家族のことが私の頭をよぎりました。震源がどこだったのかその時はまだ分かりませんでした。そして、想像できないほどの惨事となった津波があったことを知る人もいませんでした。なぜなら地震での大きな揺れで、東京でもテレビを見ることができなかったからです。全てのものが混乱し、交通網や電話回線も機能しませんでした。東京の郊外に住んでいた私は帰宅できませんでした。当時、たくさんの人が自宅に帰ることができなくなりました。同僚の一人は、自宅に帰るのに3時間も歩かなければなりませんでした。他の同僚は、私と同様に会社で一夜を過ごしました。日本は地震国なのだから、私たちはいつも自然災害の危険性があることを心に留めておく必要があると感じました。」 また、同じく元住み込みボランティアのMさんも当時のことをよく覚えています。 「長男を出産したばかりで、病院に入院中でした。震災直後は情報が絶たれていたため、津波のことも原発事故のことも知りませんでした。ただ日々の生活と生まれたばかりの子どものことで、頭がいっぱいでした。 雪の降る寒い日が続いていたので、暖房がないのは辛かったです。赤ちゃんの体が冷えないよう、毛布を何枚も重ねてかけていました。シャワーも使えず、衛生状態が悪いことも気がかりでした。また、オムツ、粉ミルク、おしりふきなどはなかなか手に入りませんでした。他県に住んでいる親戚が車で届けにきてくれて本当に助かりました。 今現在、私たちは仙台から約400キロ離れた横浜市に住んでいます。仙台を含む震災の被害が大きかった地域では、瓦礫は撤去されても、まだ仮設住宅で生活されている方が大勢います。被災した皆さんが、早くもとの生活を取り戻せるよう願っています。また震災のことを忘れることなく、自分にできる支援を続けていこうと思います。」 5年前、日本から平和村にボランティアに来ていた日本人全員が、あの災害の後も、平和村でボランティアを予定通り続けることを決意しました。そして彼らは、戦争や危機、それに伴う貧困の犠牲になった子どもたちへの支援に尽くしてくれました。ドイツ国際平和村は、応援してくれている日本の人々との深い絆を常に実感しています。原発の被害により健康への不安はなくならない現状が続いていますが、一人でも多くの方の住居環境や生活状況が少しでも改善することを、ドイツ国際平和村スタッフ一同、心から願っています。

心落ち着く場所へ。

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Japanese version of article about „Wo das Herz wohnt“ originally posted on 21st of February 2016アフガニスタン、中央アジア、コーカサス地方から来た子どもたちが母国へ帰国します。2016年2月21日付  小雨降る2月20日(土)、ドイツ国際平和村には「やっと家に帰れる。」という想いで、笑顔溢れる子どもたちがいました。 約13時間の飛行時間は、今まで治療のためドイツで過ごした日々に比べたら、あっという間です。悲しみや痛みは消えました。もう少しで、両親、兄弟姉妹、いとこ、叔父、叔母、近所の人たちに、自分ができるようになったことを見せられるのです。走ったり、ジャンプできるようになったり、しっかりと噛めるようになったり、鉛筆を持てるようになったり、それに離れて暮らしていた家族を抱きしめ、母国で生活できるようになったのです。 一時的とはいえ、母国の家族と離れることは、辛いことでした。それでも、アフガニスタン、中央アジア、それにコーカサス地方の子どもたちにとっては、ドイツでの治療はこれから生活していくための最後のチャンスだったのです。ドイツの医師たちは、子どもたちの治療を無償で行い、多くのスタッフやボランティアは、子どもたちが元気になるまでの日々に寄り添いました。そして、今後は、この母国へ帰る子どもたちが、平和への望みを持つことが困難な国々の希望となるのです。チャーター機によって運ばれた援助物資も、このような国々の助けとなることでしょう。医薬品、松葉杖などの多くの援助物資が、現地ではすぐにケガの処置で使用されます。加えて、この物資に込められた「あなたたちを忘れていません」という想いが、現地の人々にとって困難の中でも希望を持って生きるモチベーションとなることでしょう。

最後のチャンス

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Japanese version of article about „Letzte Chance“ originally posted on 18th of February 2016 アフガニスタンの人々は、子どもたちが元気になることを願って、ドイツ国際平和村へ子どもたちを託しました。 2016年2月18日付 「2015年、11,002人もの市民が、諸派の闘争により、死亡または負傷しました。2014年に比べて4%増です。」と、国連からアフガニスタンについての報告がありました。市民の中には女性や子どもたちも含まれています。被害者の4人に1人は子どもです。 2月17日(水)夕方、重症のケガや病気を抱えた子どもたちが、デュッセルドルフ空港に到着しました。子どもたちは、母国では治癒することができない骨髄炎、重い整形上の形態異常、それにまだ日の浅い重症のケガを負っています。ドイツ国際平和村は、軍事活動による平和活動ではアフガニスタンに平穏は訪れていないと考えます。それよりもインフラを安定させたり、医療供給に関する社会プロジェクトへの資金援助やエネルギー供給に力を入れるべきだと考えます。だからこそ、ドイツ国際平和村は、その面に力を注いでいます。海外プロジェクトや平和教育は、今の世界にとって重要なポイントです。海外プロジェクトや平和教育こそ、紛争やテロと向き合う、唯一の方法です。 2014年9月にハミード・カルザイ氏の後任となった現在のアシュラフ・ガニー大統領も緊急な対応を求めています。「こんなに大量の資金がアフガニスタンに入ってくるのに、実際に必要とされているところに資金が流れていないことは、とても残念だ。」と、語っています。(2016年2月16日付、南ドイツ新聞) このような状況ですが、今年もドイツ国際平和村は、元気になる子どもたちの未来を見ていきます。2月17日に到着した子どもたちのグループは、ほとんどがアフガニスタンの子どもたちでした。その他一部は、中央アジアやコーカサス地方からの子どもたちです。 ドイツ中からの援助 今後、子どもたちはドイツにある病院で治療を受けます。今回の援助飛行で到着した多くの子どもたちには、病院でのベットが確保されていました。多くの子どもたちは、ドイツへ到着してすぐに緊急でドイツ中にある各病院へ入院しています。病院への移動も、ドイツ中から様々な救急隊が救急車で援助をしてくれました。空港から病院へ直行せず、一旦ドイツ国際平和村の施設へ来る子どもたちもいます。彼らは施設へバスで移動します。このバスも、オーバーハウゼン市のバス会社の援助です。 医師やドイツ国際平和村のスタッフが協力した成果が、土曜日に出ます。そうです、治療を終えた子どもたちが、2月20日(土)チャーター機で母国の家族の元へ帰国するのです。数ヶ月間、ドイツで治療やリハビリに耐えた勇敢な子どもたちが、ようやく元気になり母国で再スタートをきります。 写真:カブール、チャーター機、デュッセルドルフ空港の印象

辛い現実―アフガニスタンへの援助飛行の日程が近づいてきました。

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Japanese version of article about „Bitterer Erfolg“ originally posted on 12th of February 2016 2016年2月12日付 「援助飛行の準備は今までのところ順調に進んでいます。」と、カブールに現地入りしたドイツ国際平和村のスタッフが報告しました。援助飛行の準備が上手くいっていても、複雑な気持ちは残ります。というのは、ケガや病気を抱えた子どもたちが100人以上もいるという現実があるからです。今回の援助飛行では、アフガニスタンからだけでも、80人以上が治療のため渡独する予定です。前回の援助飛行より明らかに多い数です。傷口が開いている状態や化膿した状態の驚くような症状を抱えた女の子や男の子たちが、来週の援助飛行でドイツへやってきます。 ここ数日、ドイツ国際平和村のスタッフは、アフガニスタン赤新月社の現地パートナースタッフと共に、多くの準備を進めてきました。アフガニスタンへの援助飛行は今回で73回目となります。アフガニスタンの国民は、紛争が30年近くも続き、その紛争状態に慣れてしまいました。ここに住む人たちは皆、爆音を知っています。爆音がしても、びくりともしない人もいます。メディアが伝えるアフガニスタンの日常の出来事で、良い内容が何もないということも当たり前になっています。アフガニスタンに生きる人々は、強い忍耐が必要です。ドイツ国際平和村のスタッフは、日に日に増える絶望感にその忍耐力も弱まっているのを目の当たりにし、そのことを気にかけています。 前回の援助飛行に比べて、面会にくる子どもたちの数も増えましたし、ドイツで治療を受けられる子どもたちの数も増えました。ドイツ国際平和村のスタッフも現地パートナースタッフも、その数から現地の医療環境の変化を読み取ることは難しいと思っています。どちらかというと、地方の安全面や天候が比較的よかったため、病気やケガを負った子どもと家族が、地方から首都カブールへ移動できたといったほうが良いかもしれません。あとは、ビザが問題なく発行され、ドイツ入国が可能になることを願います。ビザ発行のための必要書類を整えることには既に十分な労力がかかっていますが、さらなる厳格化はなく、この件に関しては安堵しています。 アフガニスタン周辺、中央アジアの子どもたち 2月17日(水)夕方、デュッセルドルフ空港にチャーター機が到着します。この航空機には、アフガニスタンからの子どもたちだけではなく、中央アジアの子どもたちも乗っています。彼らは、急を要するケガを抱えているのではなく、母国では治療することができない、複雑な先天性疾患などを抱えています。ドイツの医師や病院が、すでに無償での手術を保障してくれています。 そして、このチャーター機は、以前の援助飛行で渡独し、現在までの間に手術や治療を終えた子どもたちを乗せ、2月20日(土)に子どもたちの母国へと折り返します。 写真:カブールにて待機中の子どもたちとその家族

アフガニスタン –人々が離れ去っていく国

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Japanese version of article about „Flucht aus Afghanistan“ originally posted on 11th of February 2016 2016年2月9日付 「アフガニスタンの人々、そしてカブールにおいて、爆発音がこれほど『普通』のことになってしまったことに、私たちは驚きを隠せません」と、ドイツ国際平和村スタッフのケビン・ダールブルフとマリア・ティネフェルドが現状を伝えます。この2人は、73回目となるアフガニスタン援助飛行のためにカブールに向かい、パートナー団体である赤新月社のスタッフと最終準備を行いました。現地では、大変危険な状況にも関わらず、平和村スタッフとの面談のために、地方から多くの家族が首都カブールまで子どもを連れて来ていました。子どもたちの家族は、アフガニスタンでは治療が不可能な子どもにヨーロッパの医療を受けてほしいという一心でやって来るのです。 アフガニスタンで暮らしていくことがどれだけ大変であるかは、多くの人々が難民としてこの国を去っていることからも想像できます。お金に少しでも余裕がある人は皆、平和でより良い生活ができることを夢見て、国を去ろうとするのです。何よりメディアによって、実在しない楽園のように外国が描き出されていることが大きく影響しています。特に、この国を立て直していくことができる世代の人々が難民となっているのです。「毎日、何千人もの若者が母国を立ち去っていく。アフガニスタンはどうなっていくのか」と、アフガニスタンのパートナーは自問します。しかし、爆発や銃撃が日常茶飯事になり、インフラが崩壊し続けると、母国と自らの将来に望みを持つことができない人々はさらに増えていきます。大統領と行政長官が政治権力を分け合う内政は、共に揃った方向性を見出すことができず、この状況も人々の不安に拍車をかけています。 医療の状況も、変わらず改善されていません。アフガニスタンでは、例えば給料が十分に支払われないという理由で多くの医師が失業し、医師と医療物資が病院には不足しています。その上、大小様々な援助団体がアフガニスタンから撤退しています。その影響は、今回治療のためにドイツに来ることになった100人近い子どもたちの体全体的な様態が明らかにひどいことからも見て取れます。子どもたちの多くは、何か月もの間、化膿した腕や脚の痛みに耐えているのです。   ドイツ国際平和村がアフガニスタンの子どもたちへ30年近く、医療援助を継続して行っていることや、その継続した活動によって築いてきた協力者との信頼関係は、現在の状況にあるアフガニスタンにおいて活動する上で、より重要です。アフガニスタンの現地パートナー団体である赤新月社との協力関係はもちろんですが、加えてアフガニスタンのドイツ大使館は、この国の深刻な状況にもかかわらず、渡独する子どもたちのビザ申請において、書類のさらなる追加を求めることなく許可してくれました。支援が必要な家族にとって、ドイツ大使館が求める条件を満たす準備を行うのは、既に十分に困難です。 今回の最終準備で、多くの子どもたちのドイツにおける治療が決まりました。全て順調に進めば、この子どもたちは来週、チャーター機に乗ってドイツにやって来ます。チャーター機は、アフガニスタン以外に、中央アジアやコーカサス地方も中継し、各国から子どもたちが乗り込みます。その数日後、チャーター機の復路便で、治療を終えて元気になった子どもたちが母国へ帰ります。あとは、母国へ帰った子どもたちが、元気になったチャンスを、それぞれの母国で生かして、希望の光をともしてくれることを祈ります。 今回、改めて実感したことは、国際軍の駐留が想定していた効果をもたらさなかったことです。そして、もしも軍隊に使用した費用を社会的インフラに投資していたならば、現在、これほどまで多くの子どもたちがドイツ国際平和村の援助を必要としなくなっているかもしれないという疑問がでてきます。そのように思考を変えることによって、難民として外国に移住することなく、母国に留まる人が多くなることに繋がるのではないでしょうか。 写真 : アフガニスタンの一風景 … Weiterlesen

カンボジア:26ヶ所目の基礎健康診療所と産婦人科病棟への支援

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Japanese version of article about „Neuigkeiten aus Kambodscha“ originally posted on 28th of January 2016. 2016年1月27日付 2015年10月、ドイツ国際平和村代表トーマス・ヤコブスとスタッフのマリア・ティネフェルドが、現地プロジェクト活動の状況を把握するため、カンボジアへ向かいました。そして、ドイツ国際平和村が支援しているカンボジアにおけるプロジェクトが、現地の人々に大切にされていることを確認することができました。ドイツ国際平和村が、プロジェクト活動を通して目指しているのは、病気やケガを抱えた子どもたちを家族から引き離してドイツへ治療のため連れて来る必要がなくなること、つまり、子どもたちが母国の家族の元で適切な治療を受けられるようになることです。   先日、カンボジア現地パートナーより、最近のプロジェクト活動について報告がありました。 Romeas Hekという町の地方病院の拡張という形で2014年末に開所した産婦人科病棟では、2015年内、538人の新生児が誕生しました。この産婦人科は、この地域の妊婦が妊娠中に問題や疑問があった場合に立ち寄れる場となっています。また、分娩は、衛生的な環境で専門家のもと行われます。そのため、出産時の母子の危険因子が減少しました。加えて、合計130人の婦人が入院治療を受け、855人の子どもたちが、この地方病院にて治療の機会を得ることができました。   基礎健康診療所の建築プロジェクトに関しても報告があります。医療の行き届いていない地方の人々に基礎的な医療を提供することを目的としたプロジェクトですが、昨年は23ヵ所目、24ヶ所目、25ヵ所目を開設できました。現在は、Angkor Angという地域に26ヵ所目となる基礎健康診療所の建築が進められています。建物の土台はほぼ完成し、建設を担当しているスタッフは、第一段階を無事に終え、順調な進展に胸をなでおろしています。特に困難だったことは、診療所を建築している土地が水分を多く含むことです。建物の下部で基礎となる柱がなかなか思うとおりに立ちませんでした。重量のある建築資材を運ぶことも、インフラが整備されていないカンボジアの地方では困難を伴います。   工事が引き続き順調に進めば、この診療所は年内に運営開始できるでしょう。様々な検査、予防接種、病気についての情報などを人々に提供できるようになります。また、妊婦も妊娠中から分娩までの医療が受けられます。患者は、診療代としてそれぞれの人々の収入に見合った額を支払うというシステムをとり、全ての人々が基礎医療を受けられるようにしています。 … Weiterlesen

2015年ドイツ国際平和村活動報告

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Japanese version of article about „Zahlen und Fakten“ originally posted on 22rd of January 2016.  2016年1月22日付 子どもたちに関する活動:2015年末、ドイツ国際平和村は7カ国から、220人の子どもたちを受け入れていました。ま た、2015年末の時点で、20カ国より計835件の治療援助要請を受けています。この数字の中には、ウズベキスタンで進めている、口唇口蓋裂症治療、先 天性形成異常の整形外科治療、形成外科手術、心臓疾患の治療を現地で行うというプロジェクトの対象となった子どもたちの数も含まれています。2015年に治療のため渡独した子どもたちは合計8カ国から293人(昨年に比べて約100人減少)、そして、2015年以前からドイツで治療を受けていた子どもたちも含め、9カ国344人の子どもたちが治療を終え母国へ、家族の元へと帰国していきました。 過去数年同様、主な援助国はアフガニスタン(123人渡独)、アンゴラ(92人渡独)、コーカサス地方のアルメニア(1人渡独)とグルジア(6人渡独)、そして中央アジアのタジキスタン(20人渡独)、ウズベキスタン(35人渡独)とキルギス(9人渡独)です。そして、ガンビアから7人を受け入れました。2014年9月にガザ地区から受け入れた42人の子どもたちのうち、19人は2014年内に帰国し、2015年内に残りの23人全員が帰国できました。 子どもたちの治療: 2015年、ドイツ各地の病院にて、合計293件の治療が受け入れられました。(2014年の実績は388件。) また、子どもたち一人当たりの平均入院日 数は、前年に比べ3日短い32日間でしたが、平和村の子どもたちの治療を無償で行った病院の軒数は増え、177軒の病院から協力がありました。(2014 年は154軒。) その他にも、20軒の病院の協力により子どもたちの症状が診断されました。(この数には子どもたちの母国の病院も含まれます。)また、38の開業医からも継続したご協力をいただいています。 … Weiterlesen

1.6トンの援助物資をルーマニアへ

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Japanese version of article about „1,6 T Hilfsgüter für Rumänien“ originally posted on 19th of January 2016. 2016年1月19日付 2016年1月1日午前6時、ドイツ・オーバーハウゼン: 車も少なくアウトバーン(高速道路)での走行は快適です。新年早々ですが、例年同様、ルーマニアへの援助物資輸送というドイツ国際平和村の活動が始まり、ドイツ国際平和村のスタッフはこの活動のため、約1500キロメートル離れたルーマニアのスンニコラウ・マーレとチェナドという町に向かいました。ドイツ国際平和村はこの地域へ長年、物資支援を行っており、2007年にルーマニアがEUに加盟してからも、引き続き支援しています。 「ルーマニアの人々は、ドイツ国際平和村のこの継続した援助活動に感謝しています。人々は一つ一つ届けられたものを見て、喜んでいました。」と、ルーマニアに向かったドイツ国際平和村スタッフが報告しました。今回届けた1.6トンの援助物資には、車椅子、歩行補助具、包帯類、紙おむつ、衣類などが含まれています。衣類については、市役所が登録・管理を行い、必要な人々の手に分配することにより、公正にかつ、より多くの人々に支援を届けることが可能となっています。 厳しい寒さに必要なのは衣類だけではありません。暖も必要です。ルーマニアの多くの家庭では、安全性の整っていない火力で、暖をとったり料理をしたりしています。その火が、想定外の事故になることもあり、子どもたちが危険にさらされます。また、ルーマニアの医療インフラは、いまだ整えられていません。少なくとも被雇用者は、健康保険料を支払っていますが、それに見合った医療を受けることはできていません。薬や包帯類はもちろんのこと、入院費用も、各自で負担しなければならない場合があります。そんな状態ではありますが、ドイツ国際平和村がベッドを届けたスンニコラウ・マーレの小児病棟は、拡張され、上手く機能しています。「毎回ここに来ると、小さな変化ですが、進展を見ることができます。小さな一歩でも、それは前進しているのです。」とドイツ国際平和村スタッフは報告します。この進展にかかわっているのは個人経営の企業であり、こういった企業が、政府によって対応されるべき業務を請け負っています。 写真:スンニコラウ・マーレの小児科にて。  

1年の終わりに ‐平和を願ってのパーティー「フリーデンスフェスト」を開催しました。

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Japanese version of article about „Neujahrsgrüße vom Friedensfest“ originally posted on 30th of December 2015 2015年12月30日付 新年への抱負や願い事は、様々なものがあることでしょう。その中でいくつの願いが実際に叶うのでしょうか。ドイツ国際平和村は、アンゴラ、アフガニスタン、中央アジア、そしてコーカサス地方から子どもたちを受け入れていますが、この子どもたちにはたった1つの願いがあります。「元気になること」です。ドイツ国際平和村は、その願いが叶うよう、子どもたちへの支援を続けています。 ドイツ国際平和村は、子どもたちの母国では治療のできない重度のケガや病気を治療するために、長年子どもたちへ支援を続けています。子どもたちはドイツ各地の協力病院で検査、入院、手術を受け、願いが叶い元気になったら、母国にいる家族のもとに帰ります。 この様々な地域から来た子どもたちは、病院に入院中以外は平和村の施設で共同生活を送ります。この施設で、年末年始のお祝いも兼ねて、平和を願ってのパーティー「フリーデンスフェスト」を開催しました。このパーティーまでの数週間、子どもたちは紙を切り貼りしたり、絵を描いたりして、パーティーを行う部屋に飾り付けをしました。また、自分たちが発表する踊りや歌の準備にも余念がありませんでした。パーティー当日は、平和村の職員やボランティアの多くも、歌い、踊り、食べ、子どもたちとの楽しい時間を過ごしました。また、2人の手品師も来てくれ、子どたちは彼らのトリックに目が奪われ、喚声が上がっていました。このパーティーの締めくくりは、毎年恒例の「平和の物語」です。今年は、「平和村という村に住んでいる子どもたちと大きな夢」という物語でした。大きな夢とは、早く元気になってお家へ帰ることです!そして子どもたち全員に、プレゼントが渡されました。子どもたち一人ひとりにとって、思い出に残る時間になりました。 子どもたちが見せてくれたこの笑顔を、私たちはご支援下さっている皆様一人ひとりにお贈りしたいと思います。多くの皆さんが、ご寄付をお送り下さったり、ボランティア活動をして下さっています。皆さんお一人お一人のご尽力は、計り知れません。 2016年の365日が、皆様にとって穏やかな日々でありますようにと願っています。  

スリランカ・ナタンディア平和村でのクリスマス

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This is the Japanese version of an article about „Christmas in Peace Village Nattandiya“ originally posted on 28th of December 2015 2015年12月28日付 インド洋に浮かぶ島国スリランカは、クリスマスの雰囲気とはかけ離れた春のような陽気です。そのような中、平和村現地パートナー団体が開催したクリスマスパーティーにスリランカの子どもたち約80人が参加し、サンタクロースの登場を大変喜んでいました。毎年、ナタンディア平和村ではこの時期に毎年異文化交流イベントを開催しています。このイベントは、クリスマスプレゼントよりも、より深い意味を持ちます。そこでは、シンハラ人、タミル人、イスラム系住民の子どもたちとの出会いと交流の場になっているのです。 内戦は2009年に終わりましたが、宗教や民族の異なった人々同士でいまだに緊張、対立状態が続いています。ナタンディア平和村では、長年継続してスポーツや遊びを通したイベントを定期的に開催し、異民族間の交流を促しています。このイベントによって、異民族への偏見が取り除かれていくのです。 このプロジェクトは、2016年以降、現地プロジェクト団体に運営を任せることになっています。 犠牲者に追悼の意をこめて … Weiterlesen

パケットアクションの支援物資をコーカサス地方とタジキスタンへ届けました

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Japanese version of article about „Pakete für Tadschikistan und Kaukasus“ originally posted on 17th of december 2015 2015年12月17日付 ドイツ国際平和村は、12月16日に約5000個のパケットをタジキスタンとコーカサス地方へ送りました。このパケットアクションによる食料品や衣類の支援は、貧困に苦しんでいる人々にとって冬の厳しい寒さと飢えに立ち向かうための大きな力となっています。これらのパケットを、平和村現地パートナー団体のスタッフが分配します。このパケットアクションでは、ただものを届けるだけではなく、現地の人々に「私たちはあなた方へ想いをよせています」というメッセージも届けているのです。 タジキスタンという国がメディアを賑わすことはまれですが、最近では、震度7から8の地震がこの国の人々を襲いました。その時、タジキスタン現地パートナー団体のスタッフの無事が確認できるまで、時間がかかりました。現地の建物は崩れ、多くの人々が負傷しました。 こういった出来事は、貧困の家庭に特に大きな打撃を与えます。彼らには、損害を修復したり、家を建て替えたりする資金はありません。タジキスタンは、中央アジアの最貧国と言われています。 この国とコーカサス地方の人々にパケットアクションが可能なのは、多くの人々の協力があるからです。このパケットアクションのダンボール箱に、日持ちする食料品を詰めてくださった家族、学校、幼稚園、教会のグループの皆様にこの場をお借りして、心よりお礼申し上げます。また、3年前よりデュッセルドルフのオーバーカッセルという地域で、ドイツ在住の日本人の方々がパケットアクションのダンボール箱の販売と回収を行って下さっています。このようにボランティアで、パケットの販売、回収をして下さることで、平和村から離れたデュッセルドルフやその周辺に在住の方でも、ご負担が少ない形で活動にご協力頂けるようになりました。オーバーカッセルでのパケットの販売や回収は、来年も行って下さる予定です。デュッセルドルフ在住の皆様だけではなく、平和村の活動に想いをおよせ下さっている皆様、ご寄付をお送り下さっている皆様のお気持ちにより、今年もパケットを現地の人々のもとへ届けることができました。誠にありがとうございました!

人権デー

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Japanese version of article about „Tag der Menschenrechte/Human Rights Day“ originally posted on 10th of december 2015 2015年12月10日付 国連総会において「世界人権宣言」採択された67年前の12月10日にちなみ、この日は毎年「人権デー」です。世界中に存在する人権に関する状況を批判的に観察し、世界中で起こっていることに目を向ける日です。ドイツ国際平和村の平和教育機関のスタッフも、長年人権に関する啓蒙に力を入れています。そして、この人権デーの日にオーバーハウゼン市で開催されたイベントにも参加しました。イベントのテーマは「隣人のみなさん、ようこそ」でした。市内の小学校や団体から多くの子どもたちと親、そして難民の家族が参加し、和やかな午後を過ごしました。   なぜ「人権の日」が存在するのでしょうか? それは、いまだに人権について周知しなければならない状況があるからです。政権批判を言葉にしたり、戦争に反対の言葉を使用すると、自身や家族の安全が脅かされる人々が多くいます。ある宗教を信仰しているといっただけで抑圧される人々がいます。性別、肌の色、国籍による差別は、世界の多くの国々でテーマとなっています。それは、ドイツ国際平和村が活動をしている国々においても当てはまります。人権が無視されている状況により、多くの家族が苦しんでいるのです。   子どもたちがこのような状況に巻き込まれていることは、とても悲惨なことです。子どもとしての権利が守られていないのです。子どもたちの国々で起きている現在の状況は、子どもたちのせいではありません。子どもたちは将来を担う人間です。子どもたちに、教育を受ける権利や医療的なサポートが確保されない限り、様々な分野において改善の必要があります。ドイツ国際平和村は、母国で適切な治療を受けることのできない子どもたちへのドイツでの医療援助を行っています。大きなパズルの1ピースではありますが、子どもたちのために活動を続けていきます。   写真:オーバーハウゼン市のイベントにて

ドイツ国際平和村は、ドイツ連邦軍によるシリアへの軍事投入に反対します

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Japanese version of article about „Bundeswehreinsatz Syrien“ originally posted on 7th of December 2015   2015年12月7日付 130人もの命が奪われた“イスラム国(IS)”によるパリでの同時多発テロから、まだ一ヶ月も経っていません。ドイツ連邦議会は、フランスによるISとの戦いを支援するため1,200人ものドイツ連邦軍兵士をシリアに投入する政府案を承認しました。ドイツ国際平和村は、同時テロがあった11月13日よりもずっと前から、軍の介入は平和をもたらさない、ただ相手を触発するだけだと知っています。アフガニスタンやイラクでの例がそれを証明しています。 パリで起きたことはとても悲惨で、犠牲者を惜しんでいますが、それはシリアや世界の他の地域で続く紛争での犠牲者にも同じことがいえます。だからこそ、ドイツ国際平和村は軍事投入に強く反対しているのです。また、シリアに国連が介入していないのに、ドイツ連邦軍が介入することをドイツ国際平和村は批判的に思っています。 過去の経験が示すのは、暴力はそれに抵抗する暴力を挑発するだけだということです。このプリンシプルを否定する根拠はどこにもありません。どのようにしてテロ組織ができ、力を強めてきたかというのは、このプリンシプルからも読み取ることができます。ISや類似した組織の活動を止めるため、軍事介入をするのが本当に正しい方法なのでしょうか。ドイツ国際平和村はそうは思いません。 ドイツ国際平和村は、テロによる悲しみや不安や怒りも理解できますが、それでも上記の理由から、紛争解決やこれ以上犠牲者を増やさないために他の解決方法を望みます。そのためには、労働環境の改善や、教育を通し若者たちが将来への希望を得ること、そして社会システムやインフラの構築が重要です。人生の方向や生き方が固まっている人は、テロの考え方に左右されることは少ないでしょう。また、その組織の一員となろうとも思わないはずです。

2015年12月1日 2足揃った靴下 

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Japanese version of Friedensdorf „Adventskalender 2015“ from 1st till 24th of December 「Socken alle beide(ゾッケン アレ バイデ)」-「2足揃った靴下」という意味の平和村ドイツ語です。片方の靴下の行方は、どの家庭でも日常にあるちょっとした問題です。まだ洗濯機の中にあるのでしょうか?それともベッドの下?おもちゃ箱の中? 150人以上もの子どもたちが生活する平和村施設では、子どもたちが2足揃った靴下を履いていることが稀です。少しずつ数が減っていく靴下・・・。そのためにいつも補充が必要なのです! 2015年12月2日 栄養補助剤 写真にある筒には、水に溶かして飲む栄養補助剤が20個入っています。この筒は約1ユーロです。 ドイツ国際平和村は毎年、この栄養補助剤の入った筒約3万個を、ウズベキスタン、アンゴラ、アフガニスタンなどの国々に送っています。 大人や栄養不足の子どもたちの病後の回復や免疫力の強化に役立っています。 この栄養補助剤の分配は、現地パートナー団体が担います。 2015年12月3日 サラダ 子どもたちはサラダが食堂に並ぶと、鼻にしわを寄せ、嫌そうな顔をします。けれども、お昼には必ず大きなサラダボールが準備され、子どもたちはメインのおかずの前に、まずサラダを食べることになります。サラダにはたくさんのビタミンが含まれているのです。レタス1つの値段は1ユーロもかかりません。例えば、ドイツ国際平和村では一日に18個のレタスが必要です。 2015年12月4日 パンツ … Weiterlesen

国際寛容デー

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Japanese version of article about „Tag der Toleranz“ originally posted on 16 th of november 2015 2015年11月16日付 11月16日は「国際寛容デー」です。1995年のこの日、ユネスコ総会で「寛容原則宣言」が採択されました。この日は、互いに寛容な心であることが社会にとってどれだけ重要であるかを伝えています。 特に今、このテーマは多くの人々の心の中にあるのではないでしょうか。 先週金曜日には、人々を震撼させるパリ同時多発テロが発生しました。このようなテロ行為には政治的、宗教的、文化的な理由は存在しません。また、安全かつより良い将来のためにドイツへやって来た難民の人々に対してテロと関係があるのではないかという懐疑心は持ちたくありません。 しばし、偏見と無知が不寛容の基礎を築いています。 それでは、どのように「寛容な心」を持って、他者を受け入れることができるのでしょうか。 ドイツ国際平和村が受け入れた子どもたちの生活する施設にいると、毎日寛容な心を持つことの重要さを感じます。様々な国々からやって来た200人近くの子どもたちは、一つの屋根の下で共に生活し、病気やケガと共に向き合っています。アフガニスタン、アンゴラ、ガンビア、中央アジア、コーカサス地方から来ているこの子どもたちは、異文化による偏見をなくすことの重要性を理解しているのです。彼らは平和村で、自身の国とは異なる世界の他の場所でも、自分たちと同じような状況にある子どもたちがいることを知ります。そして、どの宗教を信じているかは関係なく、友情を結び、その友達を大切にするのです。 パリ同時多発テロの犠牲になった方々、その親族の方々に思いを寄せるとともに、今回のテロ行為が更なる暴力行為を生み出すことのないようよう切に願います。 ドイツ国際平和村の平和教育活動では、「寛容」といったその他の類似したテーマも扱っています。人々は、平和村の訪問を通して、このようなテーマについて違った視点から見られるようになります。視野を広げることによって、他の文化を学ぶというだけでなく、自身の人生や生活環境を大事にするといったことにつながることもあります。平和教育のプログラムでは、インフォメーションセミナーといった受動的なセミナーだけでなく、他者とかかわりあいながら学ぶプログラムもあります。自ら他の参加者と共に、一つのテーマに向かって協力し合って何かを生み出すのです。その際、「寛容さ」が重要な役割を果たすことは言うまでもありません。

アンゴラ・首都ルアンダ

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Japanese version of blog-post, orgininally posted on 9th and 11th of november   子どもたちが、無事、アンゴラの首都ルアンダに到着しました。もうすぐ家族に会えます! 2015年11月11日 アンゴラ・首都ルアンダ アンゴラの首都ルアンダでの印象と出会い こんばんは、 今日から、ここアンゴラにいるドイツ国際平和村のスタッフが6人に増えました。なぜならドイツ国際平和村のスタッフが、治療を終えた子どもたちとともにチャーター機でルアンダに到着したからです。今回添乗したウクライナの乗務員は、今までのアンゴラやアフガニスタンへの援助飛行でもおなじみになっています。彼らが赤道を通過した際に、今回初めて搭乗したスタッフにサプライズを用意してくれていました。その後すぐ、ルアンダへの着陸態勢に入り、この瞬間から子どもたちの掛け声が「ナッハ・ハウゼ(家に帰ろう)」ではなく、「ツー・ハウゼ(家に着いた)」に変わり、今までより大きな声で歌い始めました。 現地では、平和村でかつて治療を受けた青年とも一緒に活動しました。彼は現在、現地パートナー団体のスタッフで、通訳を担ってくれました。治療が必要な子どもたち、そしてその家族がじっと順番を待っている中、私たちは協力して活動を遂行することができました。ドイツ大使館の方が、子どもたちやその家族が背負う運命に目を向けて下さり、現地パートナー団体を再訪して下さったことも、私たちにとって大変嬉しいことでした。 5、6時間の待ち時間の後、今回まだ帰国できずドイツで治療を続けている子どもたちの両親に子どもたちからの手紙や絵や写真を渡すことができました。このときの両親の喜びと感謝をしている反応は、大変心揺さぶられるものでした。 これらの活動を終えた後、以前ドイツ国際平和村で治療を受けた子どもたちと偶然の再会がありました。この大都市の道で突然、「ケビン、こっちだよ!」という声を聞きました。晴天の下、ダニエルが友人たちと私たちの目の前に現れました。ダニエルは2年ほど前に治療を終えて、母国アンゴラへ帰国していました。 華やかな大通りから目と鼻の先の場所では、砂利でできたでこぼこな山のようなものがあります。そこでは、ゴミのなかで子どもたちがサッカーをし、女性たちはブリキ缶で昼食を作っています。この景色から、ドイツ国際平和村へ来る子どもたちの生活が垣間見えます。このような生活環境が悪い中でも、人々は文句を言わず、サッカーをするというような日常の「それとないこと」に対しても大きな喜びを感じて生きているように感じます。 これらが、私たちのアンゴラでの役割を再認識する、とても特別で忘れられない出会いなのです。 写真:ルアンダでの思いがけない再会

オーバーハウゼン

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Japanese version of blog-post, orgininally posted on 9th and 10th of november あと一晩寝たら、いよいよ母国アンゴラへ帰国です!今日、帰国する子どもたちの名前の発表がありました。援助飛行の度行われるこの名前の発表は、子どもたちにとってとても大きな意味を持っています。 明日の援助飛行が無事遂行できるよう祈っていてください! 2015年11月10日 アンゴラ・首都ルアンダ ドイツ・オーバーハウゼン市のドイツ国際平和村で、帰国する子どもたちが待ちきれずにいる中、こちらアンゴラの首都ルアンダでもこれから渡独する子どもたちの準備を進めています。

原油価格の下落が及ぼす影響

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Japanese version of article about „Sinkender Ölpreis trifft die Ärmsten“ originally posted on 8th of november 2015. 2015年11月8日 アンゴラ 首都ルアンダ 原油価格の下落がここアンゴラにも大きな打撃を及ぼしています。それはなぜなら、アンゴラでは石油が主輸出品の98パーセントを占めているからです。物資の価格は上昇し、アンゴラの通貨単位クアンザの価値が下がっています。その上、給与が減額している人々も多くいるのです。 私たちはアンゴラの富裕層にはあまり同情していません。なぜなら彼らは、このような状況の中でも、買い物のために物価が明らかに安いナミビアへ飛び、免税店の商品を買い占めることができているからです。また、この物価の上昇で、ランドクルーザーを中型車に変えなければならないという人々もいますが、そのような人々にも大きな同情はしていません。 このような状況で、一番被害を被るのは、国民の多くを占めている極めて貧困な生活を強いられている人々です。彼らは過去数年の経済発展での恩恵も、この国にある無限の富からも、潤いを得ることはありませんでした。この状況は、子どもたちのあまりに酷い傷が物語っています。それは今日も、2年前、5年前、10年前、12年前、そして20年前も変わっていません。彼らは新しいサッカースタジアムからも、ビーチにある商店街からも、5つ星ホテルからも得るものはありません。悲しい現実が物語るのは、1歳以下の赤ちゃんの死亡率は6人に1人であり、子どもたちの4分の1が栄養不良であることです。地方に住む人々は、石油が何なのか、そしてこの石油がここ数年でアンゴラの首都の発展にどれだけ影響を与えたかをまったく知りません。今の状態はある意味、今までも想像することができました。このような日がいつか来る。そしてその時、富裕層にはあまり影響を受けず、大変な思いをするのは貧困層だということも。どうして、このような状況を無視し、身勝手な態度で冷たくできるのだろう、なぜこれまでこの国の無限の財産の一部だけでも、平等に分けることができなかったのだろうと不思議でなりません。

アンゴラ独立40周年 -第58回アンゴラ援助飛行-

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Japanese version of article about „40 Jahre Unabhängigkeit Angolas“ originally posted on 7th of november 2015. 2015年11月7日付 アンゴラの人々にとって最も大切な日は“Dia da Independência Nacional“(独立記念日)で、11月11日はアンゴラ各地でお祝いをします。しかし、このアフリカ大陸南西部に位置する国の全国民がこの日を喜べるかどうかということには疑問が残ります。ポルトガルによる植民地化が終了し40年が経過しましたが、この国には貧困問題がいまだ残っています。ダイヤモンドや石油といった豊富な地下資源による経済発展の恩恵を受けているのは、一部の富裕層のみです。多くの人々は、過酷な環境で生活しています。国民の70パーセントが基礎医療を受けることができていません。また、清潔な飲料水を十分に得られているのは、国民の40パーセントのみです。毎年、下痢や気管支炎といった症状によって、何千人もの人々が亡くなっています。 このような事実に、11月2日からアンゴラへ現地入りしているスタッフは向き合っています。彼らは、アンゴラの首都ルアンダにて、アンゴラ援助飛行の準備を行っています。「子どもたちとの面会では今回もまた、容態のひどく、またはまったく何も処置されていない傷を負った子どもたちを多く見かけます。これらの傷の多くは、ひどい痛みの伴う骨髄炎ややけどが原因となっています」と報告します。 イザイアスもその一人でした。彼の診断は次の通りでした。「身体の70パーセントにやけど、46パーセントの皮膚が損傷。」今年2月のガス爆発により、この男の子は外傷を負いました。重度の栄養失調で、その他の身体状態も悪い彼にとって、ドイツまでの飛行にさえ身体が耐えられるかどうかが定かではありませんでした。「彼の場合は、ドイツに到着してすぐに病院に連れて行かなければなりませんでした。待っている時間はありませんでした。」と、当時の援助飛行に同行したスタッフが言います。イザイアスを移動させるときは、傷の痛みがひどいので、真空マットレスを使うほどでした。しかし幸運なことに、彼の治療を無償で行ってくれる病院が見つかりました。 そして今、半年前には信じられなかったことが、実現しようとしています。彼は数々の手術に耐え、11月10日にアンゴラへ向かうチャーター便に、治療を終えた他の子どもたちと共に乗り込むことができるのです。首を長くして待っている家族のもとへ帰ることができるのです。 このチャーター機には、治療を終えた子どもたちだけでなく、栄養補助剤、歩行補助具、包帯類、衣類など、約6トンの援助物資も詰め込みます。アンゴラの医療インフラの改善を目的として、これらの援助物資はアンゴラ現地パートナー団体である“Kimbo Liombembwa“によって分配されます。 … Weiterlesen

2015年11月6日 アンゴラ 首都ルアンダ

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Japanese version of blog-post „Wasser in Luanda“, orgininally posted on 6th of november   ルアンダからオラ(ハロー)、 皆さんご存知の通り、ここ数日、治療のため来週渡独する予定の子どもたちや以前、ドイツで治療を受けた子どもたちと面会をしました。その間、ドイツ滞在ビザに必要な書類も作成していました。ドイツでも、来週の援助飛行のためのチャーター機の準備が進められています。 ア ンゴラは今日、豪雨でした。大使館まで車で移動しましたが、ボートの方が早く移動できるほどの大雨でした。多くの道路が冠水していました。スラムの人々が この豪雨による大変な状況で過ごしている中、石油会社のスーツを着た人々が手押し車に乗って、足元も濡れることなく、道路を通る姿を目にしました。これこ そ、アンゴラの貧富層の不平等差を表現するのにぴったりな例です。 雨降るアンゴラより

アンゴラの子どもたちのお別れパーティ

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Japanese version of blog-posts concerning aid mission in angola, orgininally posted on 3rd and 4th of november 2015 2015年11月3日  オーバーハウゼン 来週、治療を終えたアンゴラの子どもたちが家族のもとへ帰国します。その帰国を前に、平和村施設でお別れパーティを開催しました。 このパーティーで、子どもたちはケガや病気のことを一時忘れ、友達の帰国を心からお祝いしているようでした。子どもたちは目を輝かせながら、母国の歌を歌い、踊っていました。平和村の住み込みボランティア(研修生)の皆さんが歌手Adel Tawilの「Zuhause(帰る場所)」を合唱すると、子どもたちは「帰る場所は友だちがいるところ」という歌詞を「帰る場所は家族のいるところ」と変えて歌っていました。その通りです! まだ帰国できない子どもたちも一緒になって、みなで帰国を喜ぶ姿は本当に素晴らしい瞬間です。このお別れパーティは、今回帰国できない子どもたちにとっても、治療を終えて、いつか母国の家族のもとに帰ることができるという希望を与えてくれる素晴らしい機会です。 このパーティをたくさんのプログラムで盛り上げてくれた子どもたち、ボランティアの皆さん、全ての人々に感謝します。 写真:さまざまなプログラムに拍手喝采 2015年11月4日 アンゴラ 首都ルアンダ … Weiterlesen

中央アジアとアフガニスタンの大地震

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Japanese version of article about „Schweres Erdbeben“ originally posted on 16 th of october 2015. 2015年10月26日付   ドイツ国際平和村アフガニスタン現地パートナーから、「今までに感じたことのないほどの強い地震だった」という報告がありました。また、アフガニスタンに在住しており、長年平和村の活動に協力してくれているドイツ人からは 「現地の人々はいっそう苦難な状況に陥っています。」という報告が届いています。   各メディアの報道にあるように、10月26日、アフガニスタン北部でマグニチュード7.5の地震が発生しました。震源は、アフガニスタンとパキスタンの国境近くの町であるファイザバッドの付近です。この地震は、アフガニスタン北部の国境を越え、隣国ウズベキスタンやタジキスタンでも観測され、被害が広がっています。この地域では、これまでに何度も同様の地震が起きています。それは、この地域でインドとユーラシア大陸プレートがぶつかり合っているからです。私たちはアフガニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンの現地パートナーと連絡をとることができましたが、地震は壊滅的な被害をもたらしました。   管轄局によると、26日現在までにアフガニスタンとパキスタンで既に100人以上の死者が確認されています。アフガニスタン北部の町タルカンでは、12人の女子生徒が避難中に折り重なって倒れ、亡くなりました。多くの人々が慌てて通りへ駆け出し、余震に対する不安を抱えています。現時点では、ケガ人の数を推定することは困難ですが、数百人の人々が重症であり、また家屋や財産を失ったと予測されてます。電気の供給や電話回線もアフガニスタンやタジキスタンの多くの地域で途絶えました。タジキスタンとウズベキスタンの現地パートナーによると、中央アジアの状況もアフガニスタン同様に深刻だということです。   既に紛争による被害や貧困問題を抱えた国々に、またもやこのような自然災害が発生しました。現地パートナーとは、声は聞きづらいものの電話で連絡をとることはできています。現地にいない私たちが彼らの力になれることは少ないかもしれませんが、ドイツ国際平和村スタッフやボランティア、各関係者は、現地の状況が一刻も早く改善に向かうよう、心から願っています。   写真:アフガニスタン-地震の被害が心配されます。 … Weiterlesen

2015年10月20日 オーバーハウゼン

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Japanese version of article about „Vier Tage Gambia – Ein Resümee“ originally posted on 22 th of october 2015. 4日間のガンビア滞在を経て 10月16日金曜日に、今回のガンビアへの援助は始まりました。16日、治療を終えたガンビアの子どもたち5人が、母国の家族のもとに帰ることができました。子どもたちの帰国を心待ちにしていた家族は、子どもたちを両手で抱きしめ、心から再会を喜びました。10月19日(月)には、ドイツ国際平和村スタッフがまたドイツへ戻ってきました。今回は病気や怪我のある7人の子どもたちに付き添い、ドイツを目指しました。 この子どもたちの母国はガンビアという国です。人口、約170万人のとても小さな国です。1994年以降、「再指針と構築のための愛国同盟(APRC)」という政党を率いるヤヤ・ジャメ大統領が国家元首として、西アフリカのこの国を統治しています。過去21年間、彼が大統領になる前は不安定だった政策や未遂におわったクーデターが改善されることもありましたが、この国の発展はポジティブなことばかりではありませんでした。 現在、ガンビアは直接的、間接的な紛争の被害に苦しんでいる紛争国ではありませんが、この国は資源不足のため、発展することができず、危機的な状況にあります。国民の4分の3が農業に従事しています。その多くは米作です。多くの家族がそれでも十分に米を手に入れることができず、食料の輸入が必要になっています。国民のほぼ半数が貧困層で、中間層は実際には存在しません。首都バンジュール近郊は学校や病院もあり、インフラ整備が他の地域よりも整っているといえますますが、外国人医師の交代が激しく、病院内の全科がすべて埋まっているということはなかなかありません。その上、医療機器がとても不足しています。地方には看護士と助産婦のみが勤務する基礎診療のみ可能なヘルスセンターしかありません。それに、入院用ベットも少なく、あってもとても古く、ほとんどのものがちゃんと機能するかもわからないような状態です。必要な薬は、患者やその家族の自己負担です。 しかしながら、ドイツ国際平和村が援助する他の国々と同様、ガンビアの国民はネガティブでも悲観しているわけでもありません。ガンビアの人々は自分たちの問題の解決には誰も援助をしてくれないと学びました。そのため、勇気と想像力が必要だということも自分たちに言い聞かせています。ドイツ国際平和村のスタッフはたくさんの人々に出会いました。彼らは無力でしょんぼりしているのではなく、常に強い意気込みを持っています。このような行動の中に希望があります。今回渡独した7人の子どもたちにもあります。近いうちにドイツの病院で治療を受け、早く回復し、また母国に帰国するのです。ドイツ国際平和村からも、子どもたちを通じて、子どもたちの母国がポジティブな方向へ発展していくように、将来への希望を彼らの母国へ送っているのです。

2015年10月19日 バンジュ-ル

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Japanese version of article about „Ein berührendes Treffen“ originally posted on 19 th of october 2015. こんにちは! たった今、以前ドイツ国際平和村がドイツに受け入れていた子どもたちほぼ全員と再会しました。ここでは皆さんから感謝の気持ちで出迎えられて、心の底から感動しました。素晴らしいことに、みな元気に暮らしているとのことです。ほとんどの子どもたちが学校に通っています。ある父親は、息子が元気になったことをいまだに信じられないと話してくれました。子どもたちは、ドイツ国際平和村で知り合った友だちがどうしているかを尋ねてきました。また子どもたちの何人かが、アンゴラの子どもたちへ手紙を渡してほしいと持って来ました。この手紙は必ずアンゴラの子どもたちへ渡します。これこそ、ドイツ国際平和村が目指しているものです。「友情に国境はない。」 写真:以前ドイツ国際平和村にいた子どもたちとの感動の再会 ヨーロッパでの支援! あと数分後に、負傷したガンビアの子どもたち7人が飛行機でヨーロッパを目指します。まずはブリュッセルへ移動、そしてその後ドイツへ入国します。ブリュッセルではすでに今朝早くから子どもたちを受け入れる準備がされています。空港職員、国境検査、医師、それに救命士たちが連帯して、負傷した子どもたちの受け入れが迅速にいくように協力しあいます。ドイツ国際平和村スタッフも施設で子どもたちの到着を待っています。 この場をお借りして、支援してくださる全ての人々へお礼申し上げます。 写真:とても勇敢な子どもたちです。  

ガンビアからの報告-医療制度の印象

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Japanese version of article about „Impressionen zur medizinischen Versorgung – Eindrücke aus Gambia“ originally posted on 18 th of october 2015. 10月16日(金)、ドイツ国際平和村職員マリア・ティネフェルドと医師トビアス・べクステンが治療を終えた5人の子どもたちの帰国に付き添い、ガンビアへと飛びました。空港に到着すると、すでに子どもたちの家族が待っていました。10月20日(火)、二人は治療が必要な7人の子どもたちとともにドイツ国際平和村に来る予定です。その二人から今朝早く、下記の報告がきました。 2015年10月17日 バンジュ-ル 今日はバンジュ-ルとブリカマにある2つの基礎診療所を視察しました。 援助活動やアフリカでの活動経験が多い私たちにとっても、これらの診療所はとても衝撃的なものでした。患者の数はとても多く、病院に必要な物がかなり不足しています。これが公立の医療施設の実態だと伝えられました。入院患者用ベット数も足りず、一台のベットを3、4人の患者がわけて使っています。医薬品は自分達で調達しなければいけなく、医学的診断を受けられる患者の数にも限りがあります。医師、看護士、助産婦などの医療スタッフもとても稀な存在でした。 今日の午後、子どもたちと面会をした際、アフリカ大陸最小の国のひどい医療と困難な生活状況を再度知ることになりました。しかしながら、ガンビアの人々は生きる喜び、彼らの気さくさ、それに創造力を通して、困難な生活状況の中でもなんとかやりくりしています。 … Weiterlesen

家族が一番!

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Japanese version of article about „Daheim ist es immer am Schönsten“ originally posted on 16 th of october 2015 2015年10月16日付 10月16日、ガンビア出身の5人の子どもたちにとって、待ちに待った日がやって来ました。「ナッハ・ハウゼ、ナッハ・ハウゼ(家に帰るんだ!帰るんだ!)」と子どもたちは興奮気味に声を上げています。この日、治療を終え健康を取り戻した子どもたちが、ドイツで得た新しい経験と共に、母国で首を長くして待っている家族のもとへと帰っていきました. この子どもたちは、家族に会う前に、8時間もの長時間を雲の上で過ごさなければなりませんでした。ようやくガンビアの首都バンジュールに到着し、協力して活動を行っているガンビアの現地パートナー団体„Project Aid The Gambia“のスタッフが、空港で出迎えてくれました。子どもたちの家族にも帰国の連絡が届いており、再会の喜びは大変大きなものでした。 子どもたちの家族との面会で、子どもたちの帰国に同行したドイツ国際平和村のスタッフが、子どもそれぞれの治療内容を説明します。また、今後も続けなければならないリハビリや引き続き飲み続ける薬について、または整形外科用品の扱いについての説明に加え、それらの重要性も説明します。そして、ドイツ国際平和村が受け入れた子ども全員が受け取る小額のポケットマネーと、衣類やおもちゃのつまったかばんの引渡しも行われます。この子どもたちの帰国時のかばんですが、ドイツで子どもたちそれぞれがかばんを詰めるとき、家族のことを思いながら準備する様子が常に見られます。 … Weiterlesen

ドイツ国際平和村スタッフが日本からドイツへ戻りました。

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Japanese version of article about „Abschluss der Japanreise“ originally posted on 14 th of october 2015 2015年10月13日付 10月13日、ドイツ国際平和村代表トーマス・ヤコブスとスタッフ中岡麻記が数日間の滞在を終え、日本からドイツへ戻りました。10月10日、二人は9289.14キロ離れた東京に到着し、数日間、とても貴重な時間を過ごしました。そこでドイツ国際平和村を支援してくれている多くの人々に会うことができました。 今回の日本滞在の大きな目的の一つは、13年前からドイツ国際平和村を支援し続けてくれているカタログハウス社での鼎談でした。この鼎談には平和村大使である女優東ちづるさん、整形外科医矢倉幸久さん、ドイツ国際平和村代表トーマス・ヤコブスが出席しました。この鼎談では、ドイツ国際平和村の活動のほか、平和政策もテーマにあがりました。日本政府は、自衛隊の海外派兵のため、安保法案を成立させ、憲法9条を改正しようとしています。これには日本人の多くが反対しています。平和に対する日本の人々の考え方に、私たち平和村スタッフは同感しました。「軍の介入は決して平和をもたらさないし、世界を平和へ導くことはできない」ということを、ドイツ国際平和村スタッフもその活動を通し日々感じています。 日本から毎年たくさんの方が、紛争地域や危機的状況にある国の子どもたちへのボランティア活動をするためドイツ国際平和村へやって来ます。彼らは子どもたちと出会う中で、武器なしで問題を解決する方法があると学びます。多くの日本人は、このような活動をすることは平和主義者としての証明であり、自分自身にとっても意義あることと考えるようです。 日本滞在のもう一つの目的は、ドイツ国際平和村でボランティア活動をした仲間たちおよそ70人やこれからボランティアをしたいと考えている人々が集まる「大同村会」でした。これは平和村大使の東ちづるさんと整形外科医の矢倉幸久さんがともに準備、企画、運営をしてくれたもので、この会にはドイツ国際平和村が日本で知られるようになったきっかけを作った「世界ウルルン滞在記」の河原ディレクターも参加していました。河原ディレクターはこの会のために過去16年間の映像を編集し、それを特別編として上映していました。この大同村会の準備のため、たくさんの人々が時間と労力を惜しみなく注いでいました。この会はそのことが感じられる大変素晴らしいものでした。代表トーマス・ヤコブスは次のように語ります。 「ドイツ国際平和村に関わる仲間たちは、本当に家族のようだ。お互い知り合いでなくても仲間であり、一人も他人ではない。ここで出会った温かい気持ちは、言葉では表せない。」

ドイツ国際平和村 in Japan

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Japanese version of article about „Friedensdorf in japan“ originally posted on 9 th of october 2015 2015年10月9日付 約20年前から、”ドイツ国際平和村の中で“「日本」がテーマとなりました。女優の東ちづるさん、ウルルン滞在記のディレクター河原剛さん、通販生活を出版しているカタログハウスの倉垣千秋さん、北海道で働いている整形外科医の矢倉幸久さん、その他多くのドイツ国際平和村に関わる日本の方たちを通じて、今日のドイツ国際平和村は日本に近い団体になっています。例えば、ドイツ国際平和村に関わる人々からの影響で、数えきれないほどたくさんの日本の若者が、ドイツ国際平和村で一年という長い期間、ボランティアとして活動しました。2000年には日本のライオンズクラブがリハビリ用プールの修復費を支援してくれました。日本のライオンズクラブからの影響で、ドイツのライオンズクラブも平和村を支援してくれるようになりました。 テレビ放送やカタログハウス社「通販生活」の記事を通じて、日本からたくさんの方がご寄付をお送り下さいました。東日本大震災と福島原発事故後、私たちが「ちー」と呼んでいる東ちづるさんや日本の皆さんとのコンタクトが少しとりづらくなりましたが、決してそのコンタクトが切れることはありませんでした。そして2015年6月に、ちーさんとディレクターの河原さんが再度ドイツ国際平和村を訪れました。そして、ドイツ国際平和村の放送が、再び日本で流れたのです。放映時間帯が高い視聴率をとるには難しい時間帯でしたが、それでも放映後の反応はとても良い結果でした。この再訪問は、さらに素晴らしいことへと繋がっていったのです。 それは、ちーさんがドイツ国際平和村でボランティアをした人たちが集まる機会を2015年10月に開催しようと提案したのです。そこには、ドイツ国際平和村代表のトーマス・ヤコブスももちろん参加するという話になりました。2003年、2005年にもドイツ国際平和村スタッフが日本へ行くという機会がありましたが、このような機会はとても重要なのです。ちーさんと河原さんは夏の訪問の際、さらにもう一つアイデアを残していきました。それは日本とドイツ国際平和村の繋がりを示すように、ドイツ国際平和村の「ヒロシマ通り」を桜並木にして、満開の桜を見に再訪するという案でした。桜の木は日本人にとっても特別な意味を持っています。桜は日本の文化には欠かせません。そして、桜は美、旅立ち、儚さを意味しています。桜が開花する頃を、日本では春の始まりといいます。 10月9日、ドイツ国際平和村代表トーマス・ヤコブス、スタッフ中岡麻記が日本へ出発します。そして、11日にはドイツ国際平和村「大同村会」に出席します。彼らは13日にドイツへ戻ってきて、その様子を報告する予定です。 写真:平和村お祭りドルフフェストの際に、平和村のヒロシマ通りに桜の苗木の植樹祭を行いました。  

カンボジアでの視察も終わりに近づいてきました。

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Japanese version of article about „BGS 22“ originally posted on 1 st of october 2015 2015年10月1日 カンボジア・プノンペン ハロー! 一週間が経過し、また荷物をまとめています。今日、バンコクを経由し、フランクフルトへ戻ります。 スーツケースの中には、魅力的だけど貧しい東南アジアのこの国で経験した多くの出来事や心温まる出会い、大きな感謝の気持ち、現地で行われている様々なプロジェクトの現状と来年の構想、そしてこの国の人々に感嘆する気持ちが詰まっています。現地の人々、特に地方の人々は、最低限のものだけで生き抜いているのです。彼らにとって一番近い診療所は、たとえ運が良くても15キロも離れています。道の状態が悪いため、少なくとも移動に1時間はかかるでしょう。地区病院に行かなくてはならない時は、そこから20キロ、30キロの移動が必要です。その上、麻酔が必要な状態だと、更に50キロも離れた州立病院へ半日もかけて移動しなければなりません。カンボジアの言い伝えで、「病気になるよりも家が焼けたほうがましだ」という言葉がありますが、その意味が理解できます。 この国の問題を全て解決することはできません。しかしドイツ国際平和村は、基礎診療所のシステムを通して、医療状況だけでも改善することを試みています。例えばそれは、啓蒙活動、妊婦へのアドバイス、予防接種、その他悪化を防ぐための予防や、要望によってはさらに専門職を増やしたりすることによって、医療状況の改善に努めています。 各地の基礎健康診療所だけではなく、昨日はチューリンゲン・カンボジア協会との協力のもと始めた「COMPED HOME」を視察することができました。ここでは目の不自由な人たちや障がいをもった若者たちが、養魚・養鶏・養豚の職業訓練を受けることができます。今回、自信をつけるためのセミナーを見学し、その内容に感心しました。そのセミナーでは、目標達成のために計画を立てるためには、明確な会話、はっきりした言葉、姿勢が大事だということを学んでいました。 ごみ廃棄場で仕事をし、そのそばで生活している家族の子どもたちと幼稚園で出会ったこともとても印象的です。子どもたちはこの幼稚園で衛生面、例えば歯磨き、体を洗うこと、しらみ駆除、洗濯やその他たくさんのことを学んでいます。彼らは、年齢に応じたクリアティブな遊びや、他の園児と協力して行うアクティビティを体験することができます。それに、ここではただ子どもでいられるのです。一日の中の数時間でも、ごみ廃棄場での生活から離れることができます。 全ての現地プロジェクト活動に手ごたえを感じました。私たちの中で、もっとも印象強く残ったのは、私たちの現地パートナーの存在の大きさです。彼は、ポルポト時代に生き、心も精神もこの貧しい国の将来を担っていく今日の子どもたちのため、彼らに子ども時代を与えるために尽くしてくれているのです。 トーマス、マリア

ココン州西にある22ヶ所目の基礎診療所-ラメアシェク産婦人科、小児科病院

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Japanese version of article about „BGS 22“ originally posted on 30th of september 2015 2015年9月30日 カンボジア・プノンペン おはようございます。 昨日はココン州西にある22ヶ所目の基礎診療所(ゾーリンゲンハウス1)を訪問しました。そこはドイツのゾーリンゲン市民が支援を行ったことから、ゾーリンゲンハウスという名前がつきました。1年半前に入院予定者に関する新たなコンセプトができましたが、その重要度を今回の訪問で実感することができました。2人目の子どもの出産間際で入院していた女性がいました。彼女はそこから5キロ離れたところに住んでいます。そこまでの道のりが大変なことは想像できることでしょう。ここでは平均して月に12人の出産、800人ほどの診察、1歳以下の70人の子どもたちや20人の妊婦への予防接種が行われていると報告を受けました。 その後、2014年12月にできたラメアシェク産婦人科、小児科病院を訪問しました。現在、ここで働いている看護師がプノンペンで麻酔科医になるための研修を受けています。彼が戻ってきたら、また手術をすることが可能になります。これまでここで月に平均40人の分娩を受け入れています。その多くは、基礎診療所ではリスクが高く、難しい出産です。この病院で私たちは、生まれたばかりの赤ちゃんとその母親、そしてそれを心配そうにみている親戚の人々の姿を見受けました。また、生後2ヶ月で急性気管支炎にかかった双子にも出会いました。全体的には、この病院からはとてもいい印象を受けました。 これから私たちは、目の不自由な若者、障がいを持った若者のための学校「COMPED HOME」へ移動します。インターネット環境が整っていればまた今日のうちに、そこでの訪問の報告をしたいと思います。 写真:ココン州にある22ヶ所目の基礎診療所・ゾーリンゲンハウス1

COMPED HOME

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Japanese version of article about „Comped Home“ originally posted on 30th of september 2015 2015年9月30日 カンボジア・プノンペン こんにちは、今日2度目の報告です。 先ほどCOMPED HOMEから戻ってきました。そこでは障がいがある人や目の不自由な人たちが養鶏、養豚、養魚をするためのトレーニングをしており、定期的に二日間にわたるセミナーが開催されています。このセミナーを受けることは、参加者の自信にも繋がります。トレーニングを通じて、参加者が自分に自信をつけているのです。自分達も畜産業をしたいと考えている目の不自由な人たちや義手、義足の人、生まれつき障がいがある青少年や成人たちが、様々な情報を集め、練習をする中で、自分たちの持っている能力で自宅で実践していくにはどのようにしたらよいかを考えていました。ここでもお互いが協力し合い、支えあっている姿をみることができました。この支えあう姿は、ドイツ国際平和村によくある光景と似ていて、とても素晴らしいと思えました。 1歳のときから、腰に問題があり、そのため体に不自由を抱えているセミナー講師の女性が、他の情報もいろいろ教えてくれました。カンボジアでは障がいを抱えていない国民の多くも、生活する上で苦労がたくさんある中、障がいを持つ人々の抱えている問題を重要視しないことは驚くことではないそうです。国や国際面での法律や遵守事項は存在していますが、ざっくりした所論と現実はまったく異なっています。傷がいを持つ人々の職業訓練はとても重要な役割を果たしています。なぜならこの訓練を通じてのみ、彼らはある程度自立して仕事をすることができるからです。他の様々な分野と同様に、医療面においても障がい者に対するケアは不十分です。国は10年前からより良い医療供給の義務化をうちだしていますが、この小さな団体がその見直しを行っています。家庭の経済状況によって、家族の障がい者への対応も異なるようです。どのような治療が一番役に立ったかを、そのセミナー講師の女性に聞いてみました。すると彼女は、彼女のお父さんがやってくれた昔からある方法でレモングラスを浸した水を痛みのある場所にこすりつける方法だと教えてくれました。COMPED HOMEの参加者も経験しているように、彼女はこうしたアフターケアや障がい者に対する家族のケアについても話してくれました。 ここには幼稚園もあります。幼稚園は現在、ごみ廃棄場のそばで生活している4歳から6歳までの36人の子どもたちを対象に活動しています。私たちはそこで、大きな子たちがアルファベットを習う姿や、小さい子たちが遊びや絵を描くことに夢中になっている姿を目にしました。彼らが規律正しく、知りたがり屋で、とても素直な子どもたちということがとても印象に残っています。週末は大学に通っているという若い幼稚園の先生がとても熱心に優しく、子どもたちの面倒を見ています。2つ部屋があり、(ドイツのスタンダード基準とはまったく違いますが)、その部屋はおもちゃであふれかえっているという感じでなく、そこは子どもたちにとって贈り物のように大切な場所なのです。“Knorr Bremse”という会社の支援で、子どもたちを送迎する小さなバスもあります。衛生面は幼稚園での生活には欠かせない重要なポイントです。スタッフ達は定期的に傷口の消毒をきちんとして、感染の拡大を防ぐようにしています。子ども達は毎日ここでシャワーをあび、衣類も洗濯してもらっています。子どもたちが幼稚園にいる間は、“Knorr Bremse”という文字の入った衣類を着ています。 職業訓練と幼稚園の両方の活動内容は良質であり、参加者にとって日常生活とは異なる新たな選択肢を与え、将来の展望を見通すことができるものでした。 トーマス、マリア 写真:COMEPED … Weiterlesen

ルッセイサンからトルソフィ、シエンクウィエンを通過し、トラバエクへ

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Japanese version of article about „Kambodscha (2)“ originally posted on 28th of september 2015年9月28日 カンボジア・スヴァイリエン州 こんばんは。 もう20時52分になってしまいました。今日は色々なことがありましたが、ようやく一日も終わりに近づいてきました。午前中、ルッセイサンにある23ヶ所目の基礎診療所を訪れました。この基礎診療所は今年4月から活動を開始しています。今までに20人の妊婦がここで出産しました。助産婦本人もそこで子どもを出産し、私たちが訪問したときにその赤ちゃんが小さなハンモックに乗っていました。8月だけで8000人もの住民が、この基礎診療所を訪れています。多くの子どもたちが呼吸器系の病気や胃腸炎のため、ここで受診しています。最近までこの辺りの住民は池の水を汲み、あまり煮沸もせずに摂取していました。今では、家庭で使用できる水になるよう、ある団体によってフィルターシステムや井戸堀の設置が進みました。この基礎診療所は近隣4村と9000人の住民が対象となっています。新しく建設された地方総合病院は、ここから18キロも離れています。救急車はこの基礎診療所ともう一つの基礎診療所から総合病院まで走ることが可能ですが、砂利道のため30分はかかってしまうでしょう。 その他の基礎診療所と同じように、この診療所にもボランティアスタッフがいて、住民たちへ啓蒙運動をしに村をまわっています。証明書さえあれば、貧困家庭の人々は基礎診療所で無償の医療処置が受けられます。子どもたちの予防接種は基本的に無償で受けることができます。分娩は2,5USドルです。 移動中、それぞれ村の入り口にゲートがあることに気がつきました。ヘング氏によると、泥棒除けだとか。夜にはそのゲートがしまり、交代で村の住民が警備にあたっているそうです。これがここでの新しいシステムなのです。 オレアンオウブ地区ボンコム郡トルソフィは24の村からなり、そこに28ヶ所目となる基礎診療所の建設予定地があります。私たちはそこも訪れました。電気と井戸はすでにありますが、ここの建設は来年になるでしょう。この新しい郡には、あと5つほど基礎診療所が必要です。 お昼頃、21ヶ所目の基礎診療所を訪れました。ここの改築をドイツ国際平和村が支援し、私たちはとてもいい印象を受けました。 その後、25ヶ所目の基礎診療所(ゾーリンゲンハウス2)へ移動しました。ここは今年9月21日から活動を開始しました。先日、公式に僧侶を通じて開所し、今日がその開所式で鍵の受け渡しを行いました。この基礎診療所はゾーリンゲン市民によって寄付されたものです。副市長からゾーリンゲン市民へ感謝の意が述べられました。副市長は、ゾーリンゲン市民がこの地区へこのような社会貢献をしたことを模範的な行動だと受け止めています。開所前から、この基礎診療所の活動は口コミで広がっています。もう少し完成までにしなければいけないことが数点ありますが、近いうちに全て完成させると約束をしてきました。 また明日。 トーマス、マリア 写真:23ヶ所目の基礎診療所で誕生した助産婦の赤ちゃん

24ヶ所目の基礎健康診療所開所にあわせて、女の子が誕生しました。

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Japanese version of article about „Projektreise nach Kambodscha“ originally posted on 27th of september 2015 2015年9月27日 カンボジア・プレイベン州 昨日午前、私たちはプノンペンに到着しました。そして、早速今日はプレイベン州へ向けて出発です。 3時間かかって、ようやく24ヶ所目となる基礎健康診療所があるプレイテュエンに到着しました。その基礎診療所では、今朝9時に女の子が誕生していました。母親は34歳で、今回は2回目の出産でした。ここでは2015年7月の建設当初から、事務所を使用してすでに活動が開始されていましたが、本日鍵の受け渡しがあり、正式に開所しました。この3ヶ月で、すでに1000以上ものカウンセリングや検査が行われていました。この数字からみて、この診療所が地元の人々にとって必要とされていることがうかがえます。この診療所は近隣5村、9000人以上の人が対象となります。 この地域の住民の10%から15%は都市や海外へ出稼ぎにでており、彼らは毎年11月から1月の収穫期にしか地元に戻ってきません。移動の際にも、この状況が見受けられました。私たちが出会う人々は、お年寄りや子どもたちばかりだったのです。隣の村には2000人の人々が住んでいますが、ここから10キロほど離れています。彼らの移動手段である原動付自転車では、移動は難しい距離です。基礎健康診療所の施設はとてもよい状態で、医療品も揃っています。クーラーボックスは12月に届く予定ですが、それまでは他の診療所のものを使っています。 この地区の地区長がこの地域の11ヶ所目の基礎診療所の申し出をしましたが、建設予定地までの道は砂利道で、約20キロの移動に1時間半もの時間がかかりました。皆さんの想像通り、この道には原動付自転車ではなく車が必要です。雨季の時期の移動は、なお一層困難をともなうでしょう。しかしこの地域の人々は物質的には恵まれていませんが、生活状況はいたってシンプルで、親切さ、礼儀、感謝の気持ち、そして人々に対する愛情にあふれています。このような点で、現地の人々は「豊かな」生活をしています。 この砂利道が一部アスファルトになっていたとしても、この激しい気候のためあまり長持ちはしないでしょう。驚いたことに、村の中には事業組合が存在する村もありました。それらは、「ファンド」や「村金庫」と呼ばれています。各々がそこに支払いをし、緊急の事態にはそこから支出するという仕組みです。このシステムはクメール・ルージュ下で悪用されたため、多くの人にはご法度のシステムになっています。 また、この日、27ヶ所目の基礎健康診療所の候補地も訪問しました。ここは修道僧が提供してくれた土地で、27ヶ所目の基礎診療所の候補地になっています。ここには政府がアジア開発銀行から融資を受けて建設された基礎健康診療所がすでに建っていますが、それに加えて新たな診療所が必要となっています。この日、新たな診療所候補地の土地が受け渡されたことを示す拇印入りの証明書も確認することができました。すでにある基礎診療所を補強する形で、この27ヶ所目の基礎診療所は周囲4村、約5000人の住民のライフラインとなる予定です。この診療所には5人の職員が従事することになっており、政府との話し合いが済めば、来夏には建設を始めることが可能です。私たちが見た状況が証明しているように、この地域には基礎診療所が必要です。パートナーであるヘン氏からは、必要な書類の準備を行っておくという返事をもらっています。 引き続き明日も、すでに開所している基礎健康診療所や、今後の診療所の建設予定地を訪問していきます。 トーマス、マリア、ヘング   写真:医療環境が整った中で出産をした母と小さな女の子

大盛況のドルフフェスト2015

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Japanese version of article about „Dorffest 2015“ originally posted on 14th of september 2015年9月14日付 先週土曜日、数千人もの来場者がドイツ国際平和村を訪れ、いつもまったく違う一日になりました。この日は平和村で「ドルフフェスト」というお祭りを開催し、とても特別な日だったのです。 今年は一般道から平和村に続くRua Hiroshima(ヒロシマ通り)にたくさんのお店が出店していました。そこでは、アフガニスタン、トルコ、そしてアンゴラの郷土料理、それにケバブやHorsthemkeというパン屋が焼いている平和村パンを楽しむことができ、ライオンズクラブの青年部レオクラブの青少年が、子どもたちへフェイスペインティングをしていました。またライオンズクラブもアドベントカレンダーやワッフルを販売したり、ライオンの着ぐるみたちがリンゴ皮むき機で切ったリンゴを提供したりしていました。 施設へまでの道沿いにはドイツ国際平和村のクラッシックカー・マギルスやインフォメーションを設置し、平和村グッズや算数カレンダーの販売も行いました。 毎年恒例ですが、このドルフフェストからその年のパケットアクション用のダンボールが購入できます。購入した人に食料品などをダンボールに詰めてもらい、それを平和村がコーカサス地方やタジキスタンで援助を必要としている人々へ届けます。 さらに平和村の施設へ続く道には、宝くじひきやネズミ競争、それにさまざまな芸術作品を販売するスタンドが立ち並んでいました。その並びには大きな絵画3作品が飾られていました。それらは芸術家とドイツ国際平和村の子ども達の共同作品で、ドイツ国際平和村の医療援助活動・現地プロジェクト活動・平和教育活動の3つの活動が描かれています。 施設内広場にも様々なスタンドがでていました。その中には、ドイツ国際平和村のマスコットキャラクター「フリーダ」を描いた原田みどりさんのスタンドもありました。原田さんには今回特別なサプライズに立ち会ってもらいました。レオクラブ(ライオンズクラブの青年団)の皆さんとドイツ国際平和村の子どもたちが、縦3メートル、横3,5メートルのフリーダのモザイク画を施設の建物の壁につけました。ドルフフェスト当日、そのモザイク画の除幕式があり原田さんにご挨拶、そして除幕をしていただきました。除幕式後、桜の木のオークションが始まりました。これはRua Hiroshima(ヒロシマ通り)が桜の木通りになり、春には桜が満開になるよう進められているプロジェクトで、このプロジェクトのきっかけをつくってくれたのは、今年5月に取材でドイツ国際平和村を訪れた女優東ちづるさんです。 その他のプログラムでは、メナーコーア、さくらコーア、オペラ歌手の方々の合唱や和太鼓のグループTAIKO-KIDS、ピエロ、ボリウッドダンスグループ、そしてウズベキスタンの音楽家とダンスの公演もありました。ドイツ国際平和村の子どもたちも一時の間、ケガを忘れ、ダンスや歌を発表していました。 残念ながら17時から雨が降り始めてしまいましたが、支援して下さった多くの皆様のお陰で、今年のドルフフェストも大成功を収めることができました。   写真: フェイスペインティング … Weiterlesen

猛暑の中開催された2015年のチャリティウォーク

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Japanese version of article about „peace walk 2015“ originally posted on 31st of august 2015年8月31日付 8月30日、太陽色である黄色のTシャツを着たドイツ国際平和村の子どもたちがヒロシマ通りに集まったところで、2015年の平和村チャリティ・ウォーク&ランがスタートしました。この黄色のTシャツは「Ruhr Buisiness Plattform」という団体が寄付したものです。 この日は猛暑でしたが、チャリティ・ウォーク&ランは大成功を収めることができました。10キロマラソンを一位で戻ってきたのは、10歳のフィン・フィリップ君です。またこの暑さの中、ある女性はハート型のコスチュームを着て、ハーフマラソンを完走しました。さらにドイツ国際平和村の登録ボランティアスタッフで、定年世代のホフマン夫婦もたくさんの寄付を集めるため長距離を完走しました。 平和を願うこのチャリティ・ウォーク&ランは、紛争や危機的状況にある国から来ている子どもたちとともに、100人以上がの人々が集い、すばらしい結果を残しました。このイベントは、毎年9月1日の反戦の日にちなんで毎年行っています。 チャリティウォークが終了した後は、冷たい飲み物とスイカを食べ、着ぐるみを着た二人との談話を楽しんだり、またミサンガー作りをしたり、少年少女コーラス「Letmacher Singsspatzen」と「face to face」の歌声に合わせてハミングしたりして、プログラムを満喫していました。プログラムの中には日本人ボランティアによる日本の歌の合唱もありました。   その他、反戦の日に関連したイベント … Weiterlesen

「アフガニスタン-と~ても素敵」

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Japanese version of blog-posts concerning trip to Afghanistan originally posted on 24th and 25th of august 2015 2015年8月24日 カブール こんにちは、皆さん! 12時間の夜間飛行を経て、ついにその時がやってきました。機内でシートベルト着用のサインが点灯すると、子どもたちが喜び始めました。このサインが到着を意味していることを多くの子どもが知っています。5カ国から集まったパートナー団体のスタッフ、子どもたち全員が手拍子を始め、大声で騒ぎ始めました。歓声の中から聞き取れた言葉は「アフガニスタン-と~ても素敵。」というフレーズでした。一瞬、理解しづらい言葉かもしれませんが、家族がいる国「アフガニスタン」へ帰国できる子どもたちの喜びの言葉なのです。 私たちは他のスタッフや子どもたちの後にようやく機体から降りられました。誰もが自分が一番にアフガニスタンの空気を吸いたがっていたのです。治療を受けて帰国できた子どもたちを落ち着かせ、まとめるのには苦労をしました。赤新月社へ向うバスの中でも、パーティはまだまだ続いていました。帰国できた喜びもありますが、子どもたちには、家族の迎えがあるかどうかという不安もあります。幸せなことに、前回の援助飛行同様、今回も午前中に全員の子どもを家族に引き渡すことができました。父親、母親、いとこまたは叔父の手をずっと握っている姿から、子どもたちの安堵が見受けられます。子どもたちは、自分たちが元気になった様子を誇らしげに伝えます。そして、様々なものがパンパンに詰められたドイツ国際平和村の青いバッグ嬉しそうに見せ、自分で担いで持ちたそうにしていました。 この瞬間が、アフガニスタンや他国でのドイツ国際平和村の活動の重要さを物語っています。焼け石に水ということわざがありますが、それでもこの活動はそれぞれの大家族にとって、とても価値のあり、将来につながっていく大切な活動なのです。 2015年8月25日 カブール こんにちは、皆さん! 昨 日と今日、援助物資の分配に追われていました。同時に、以前ドイツ国際平和村の治療援助を受けた子どもたちが長期的に必要としている薬の分配も行いまし … Weiterlesen

いつもと変わらない流れの中で

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Japanese version of articles about trip to Afghanistan originally posted on 20th and 23rd of august 2015 2015年8月20日付 急性骨髄炎、やけどによる変形や皮膚の拘縮。 8月19日(水)、このような症状を抱えた子どもたちが、アフガニスタン、中央アジア、コーカサス地方から、治療を受けるためにドイツへやってきました。ドイツ各地の医師や看護師が、これからの数週間や数ヶ月もの間、「子どもたちがドイツまで来なければならなかった理由」を取り除くために、無償で協力してくれます。治療のため渡独した子どもたちは、母国で再度人生を歩んでいくための、2度目のチャンスを得るのです。   この援助飛行にかかわる全ての業務は大変複雑です。毎回、援助飛行のために行うことはほぼ変わりはなく習慣的な手続きですが、長年ドイツ国際平和村に従事しているスタッフは言います。「子どもたちの家族の希望と感謝であふれるような目を見るときに抱く感情に慣れることはありません。」 息子や娘の将来を想い、家族は数ヶ月以上にもわたる別れに耐え、言語や文化のまったく違った国へ彼らを送り出すのです。このような背景があるため、継続して活動を行うということは大変重要です。ドイツ国際平和村の活動は様々な国で継続して行っています。アフガニスタンへも1988年から援助を続けています。この継続と堅実が信頼を生み出しています。援助を続けるという決断は、タジキスタンやアフガニスタン、またはグルジアがメディアに登場するからといったこととは関係ありません。現地で援助が必要とされていること、そしてドイツでその子どもへの治療が可能であることが本質的な判断基準です。現地の人々の状況を把握するために、定期的にドイツからスタッフが現地を訪れることにも意味があります。さらに、現地の信頼の置けるパートナーとの協力関係にも重要な意味があります。今年6月には、2人のドイツ国際平和村スタッフが中央アジアを訪問していました。「約2ヶ月前にタジキスタン、ウズベキスタン、キルギスでパートナーと共に面会をし、ドイツ行きを決定した子どもたちと、今回の援助飛行で再会できて嬉しかった」とこの2人のスタッフは喜びます。   ドイツ国際平和村の活動は、うまく機能したネットワークに支えられています。今回の援助飛行においても、子どもたちの治療を無償で行うドイツ各地の病院に並び、子どもたちの空港からの移動を担ってくれた各地のドイツ赤十字やオーバーハウゼン市交通局からの協力がありました。デュッセルドルフ空港もまた、チャーター便の離発着料を免除し、数トンの援助物資の空港までの輸送の際には、運搬会社の協力がありました。また、世界中のドイツ国際平和村の活動を見守り、支えてくださっている方々に、この場をお借りして、お礼申し上げます。   8月22日(土)に、ウクライナの航空会社ヤンエアのチャーター機は、往路とは逆の航路をとり、治療を終えた子どもたちの母国へ向かいます。子どもたちは再び家族と一緒になれるのです。 … Weiterlesen

ドイツ国際平和村がテレビに登場しました

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Japanese version of article about „Ururun“ in TV originally posted on 15th of august 2015 2015年8月15日付   8月15日にテレビ番組表を見ていた人は、そこに「ドイツ国際平和村」の文字を見つけたことでしょう。「世界ウルルン滞在記特別編」として14時より放映がありました。今年5月末に女優の東ちづるさんがドイツ国際平和村を再訪問して、撮影があったのです。 この日に放映というのには深い意味があります。今年の8月15日で終戦から70年を迎え、犠牲になった人々を追悼し平和を祈念する日です。70年前、広島、長崎に原爆が投下された後に、日本は降伏しました。8月6日、ドイツ国際平和村は、オーバーハウゼンの市民平和運動グループが主催する原爆犠牲者の追悼式に、今年も参加しました。 女優東ちづるさんは、1999年に初めてドイツ国際平和村を取材で訪れました。紛争や危機的状況にある国の子どもたちへの援助を知った彼女は、とても強い衝撃を受けました。そして、今日に至るまで彼女の支援は続いています。母国日本で、彼女は大変多くの人々へ影響を与えました。その影響を受けた多くの方たちからドイツ国際平和村へご寄付が届いています。また、多くの若者が、彼女を理想として、ドイツ国際平和村でボランティアを始めました。 数日前には沖縄と福島の学生たちがドイツ国際平和村を訪れました。ドイツ国際平和村の子どもたちとの出会い、そして平和学習の時間を過ごしました。

一日一日を生き抜く

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Japanese version of article about the situation in Afghanistan originally posted on 13th of august 2015 2015年8月12日付 「子どもたちは過酷な生活環境の中にいますが、彼らの強さと生きる喜びにはいつも驚かされます。外で遊ばせることを不安に思う家族が多く、屋内でしか遊ばない子どもたちも多くいます。」と、ドイツ国際平和村スタッフのマリア・ティネフェルドとケビン・ダールブルフは報告します。彼らは7月末からアフガニスタンへ入り、現地パートナー団体である赤新月社とともに、72回目となるアフガニスタン援助飛行の準備を行っていました。今回、ドイツでの治療の機会を求めて面会にやってきた家族の数は、明らかにいつもより少なく、特に北部からの家族はほとんど見られませんでした。 一触即発とも言えるような治安状態なので、多くの家族にとって、面会を行っているカブールまでたどり着くことが困難なのです。この国へ長年定期的に入っているマリアとケビンはいいます。「援助を求める子どもたちの数が少ないからといって、医療環境の改善が進んでいるとはまったく言えません。」 アフガニスタンでの自爆テロによる被害が、ここ数日また新聞記事の話題となっています。報道によると、50人以上もの市民が被害を受けました。 このように時々報道がなされますが、アフガニスタンの昨今は恒常的にこのような状況なのです。ただ、世界中の他のニュースで紙面は豊富に語られ、アフガニスタンのニュースが届かないだけなのです。 生き抜く人々 カブール市内や郊外に住む人々にとってテロ行為は、報道のあるなしにかかわらず、ここ数日日常的なことになりつつあります。日常生活の逆境の中で、そのありのままを受け入れ、人々は日々の生活をこなしているのです。将来への見通しがつかない中、一見不可能に見えることを可能にしているのです。「彼らから、『立ち向かう力』を感じます。」とドイツ国際平和村スタッフが言います。以前、平和村の支援を通して治療を受けた子どもたちの現在の様子からも、この力を感じます。当時は傷ついた子どもたちだった彼らが、生きるチャンスを得、そして、現在、母親、父親となり、理科の先生、ITエキスパート、タクシー運転手、看護士、大工となり、そのチャンスを生かしているのです。 一方で、平和村の支援によって治療をこれから受ける子どもたちもいます。この子どもたちのビザ申請が全て受入れられ、無事に発給されることを願うのみです。このビザ申請には様々なことが要求され、労力がかかりますが、赤新月社のスタッフのおかげで申請要綱を整えることができました。 あとは、渡航が予定されている子どもたちに問題が起きない限り、19日のチャーター便にて、子どもたちはドイツへ到着します。このチャーター機にはアフガニスタンの子どもたちに加え、いつものように、中央アジアとコーカサス地方の子どもたちも搭乗します。 そして、その数日後、復路便にて、治療を終えた子どもたちが帰国します。彼らはこれから、この2度目のチャンスを活かして生きていくことでしょう。

2度目のチャンス

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Japanese version of article about trip to Afghanistan originally posted on 6th of august 2015 2015年8月6日 カブール こんにちは、皆さん! ここ数日の間に、アフガニスタンの子どもたち数十人に、現地パートナー団体のスタッフや私たちと一緒に渡独し、ドイツで治療援助を受けられることを伝えました。ビザが発行されたというよい知らせをとても嬉しく思っていますが、まどろっこしい官僚的要求やそのためにアフガニスタンの家族がしなければいけないことは、いまだに多々あります。そのような中でも現地パートナー団体「アフガニスタン赤新月社」の素晴らしい協力があるからこそ、上手く準備が進んでいます。 アフガニスタンの現在の劣悪な生活環境についてすでに報告しましたが、今日はポジティブな報告をしたいと思います。 病気の子どもを持つ家族にとっては、彼らの子どもをドイツ国際平和村に託し、信頼し続けることはとても大変なことですが、その裏側には多大な感謝の気持ちと大きな希望が見えます。 多くの大家族が、治療を終え、現在ドイツで帰国の準備をしている子どもたちの帰国を言葉にできないほど楽しみにしています。 また、以前、ドイツ国際平和村で治療援助を受けた子どもたちとの再会は格別です。女の子たちは、子どもを持つ女性に成長し、男の子たちは自身を誇りに思いつつ、かつ感謝の気持ちにあふれた男性に成長しています。 さらにたくさんのポジティブな出会いは、2度目のチャンスを生かそうとする子どもたちとの出会いです。これについては、8月中旬にあるチャーター機での援助飛行後に報告します。ドイツ国際平和村で治療援助を受けた子どもたちの中には、定期的に薬が必要な子どもたちがいます。彼らは、チャーター飛行の際、パートナー団体のオフィスへ薬を受け取りにくるのです。彼らは、お母さん、お父さん、理科の先生、ITエキスパート、タクシー運転手、看護士、市場での販売員、お店の所有者、パシュトゥー語の先生、大工、裁縫士になっています。忘れてはいけないのは、彼ら一人ひとりの背景には大家族や近隣の人たちといった連帯社会の存在があることです。この社会の中でかつての子どもたちが活躍し、この社会に存在する全ての人が恩恵を受けているのです。 これを読んでいる方々、応援してくださっている方々、全ての人へ心からの感謝を込めて。

“戦争によるコスト?”

Japanese version of article about trip to Afghanistan originally posted on 5th of august 2015 2015年8月5日 カブール こんにちは、皆さん! カブールにあるコンクリート壁や鉄条網や監視カメラに囲まれている、今やだれも住んでいない宮殿や屋敷が立ち並ぶ富裕層地域の壁にこのような質問が書かれていました。“Cost of war?“ この簡単な3単語からは2つの意味が読み取れます。一つは、戦争にはいくらかかるのか、もう一つは戦争は必要なのか。 ド イツ国際平和村は過去27年、定期的な援助飛行を通じて、アフガニスタンという国の様子を見てきましたし、現地の人々の暮らしを肌で何度も感じてきまし た。この国の戦争は既に30年も続いています。そして14年前から欧州軍事同盟はこの国に何十億万ドルも粉砕しました。何のために? 今日も “ドイチェ・ヴェレ”(ドイツの国際放送局)の見出しにはこう書かれています。”アフガニスタン:市民がまた致命“ 国連は、今年前半の6ヶ月間に、一般 … Weiterlesen

ヒロシマから70年

Japanese version of article about memorial day of Hiroshima originally posted on 5th of august 2015 2015年8月5日付 今からちょうど70年前、広島にあの悲劇が起こりました。世界ではじめて、原子爆弾が投下されたのです。広島は、現在でも原子力の破壊力の痛ましさを私たちに伝えています。原爆投下から70年経過した今年も、オーバーハウゼンの市民平和運動グループは、8月6日21時よりオーバーハウゼン市にあるFriedensplatz(平和広場)にてイベントを行います。そこでは蝋燭を灯し、スピーチや歌にて原爆犠牲者を追悼します。オーバーハウゼンの市民平和運動グループが主催するこのイベントに、平和村の日本人ボランティアとスタッフも参加します。 1945年8月6日、アメリカの飛行機は原子爆弾「Little Boy」を広島市上空から投下し、その一瞬で7万人以上が死亡しました。原爆投下後も、数えきれない人々がその後遺症で死亡しました。ヒロシマから3日後、長崎でも同様の悲劇が起こりました。そして、1945年8月15日、日本は終戦を迎えました。 日本と平和村の友情 日本とドイツ国際平和村には、1990年代後半以来、深い繋がりがあります。当時、女優の東ちづるさんが、日本の人たちに平和村のことを伝えて下さったことから、今日までたくさんの日本人の皆さんがご寄付や様々なボランティアを通して平和村を支援して下さっています。この度、終戦70年に際して、日本のテレビでドイツ国際平和村のことが紹介されます。(8月15日14時~ ウルルン滞在記特別編にて ※TBS及びMBSの放送を受信する地域でご覧頂けます。主には関東圏、関西圏です。)ディレクターを河原剛さんが務めるこの番組にて、5月末から6月はじめに東さんが平和村をご訪問下さった時の様子がご覧頂けます。 ドイツ国際平和村は、いかなる形の戦争や暴力にも反対します。1967年、6日間戦争をきっかけに平和への願いをこめて、ドイツ国際平和村はオーバーハウゼン市に設立されました。そして2004年に、新しい施設内にできた通りを「Rua Hiroshima」と名づけました。そこには、二度とヒロシマ、ナガサキの悲劇を繰り返してはいけないという思いが込められています。 写真:折鶴は、日本で平和と健康を願うシンボルです。

ガンビアの農家への支援

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Japanese version of article about a projekt in Gambia originally posted on 3rd of august 2015 2015年8月3日付 ドイツ国際平和村はガンビア現地パートナー団体「Project Aid The Gambia」と、ドイツ・ハッティンゲンにあるその代理団体「Projekthilfe Gambia e.V,」と協力して、トラクターを資金援助しました。このトラクターのおかげで、ガンビアでの農業がだいぶ楽になることでしょう。 農業はガンビアの収入源として、もっとも重要です。この小さな国の国民たちは、収穫高によって収入が増えることを早急に必要としています。トラクターは現地の田畑を楽に耕作することができます。トラクターのような簡単な機械が、現地では大きな差を生むという事実は、世界のもっとも貧しい国であるガンビアの状況を伝えています。外務省によれば、ガンビア国民の60パーセントが貧困層だということです。 ドイツ国際平和村は2012年からガンビアへの支援をしています。6月初旬には治療を終えたガンビアの子どもたち5人が母国へと帰国しました。また、ガンビアへの物資援助もそれに加えて行っています。

アフガニスタンとその周辺国への援助飛行

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Japanese version of article about trip to Afghanistan originally posted on 1st of august 2015 2015年8月1日 カブール こんにちは、皆さん。カブールに到着して3日が過ぎました。この間、私たちは第72回アフガニスタン援助飛行で治療を必要としている多くの子どもたち、そして以前ドイツで治療を受けた子どもたちやその家族と面会をしました。子どもたちのなかには、外国での医療援助が必要のない子どももいますし、正直に言うと私たちが援助できない子どもたちもいます。 今日は援助を必要としている子どもたちの面会の他、治療のための渡独が決まっている子どもたちのパスポートの複雑な準備もアフガニスタンの現地パートナー、赤新月社と協力し、始めることができました。 カブールへ飛ぶことは、私たちにとってもう一つの家に帰るような気持ちです。この国やここにいる長年協力している友人たちと、とても強いつながりがあるからです。しかしながら、それと同時に毎回この国のひどい状況を知るたびに愕然とします。このことについては、後日また報告する予定です。 カブールから心をこめて

「知ってもらうこと」と「個性や文化を尊敬すること」

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Japanese version of article about trip to Afghanistan originally posted on 2nd of august 2015 2015年8月2日 カブール こんばんは、皆さん! 木曜日に到着して以来、私たちが見たり経験したことの報告が少ないため、皆さんは不思議に思っていることでしょう。病気やけがの子どもたちとの面会のため、300家族近くと会いました。彼らが経験したことは惨い出来事ばかりです。子どもたちはひどい傷を負っていて、痛ましい状況になっています。アフガニスタンの現地パートナー団体のスタッフやアフガニスタンの友人たちにとっては、“普通の日常”ですが、私たちにとっては、援助活動の際、このような状況を見聞きする度、冷静に仕事をこなしたり、機械的に決断を下すことが安易ではありません。 多くの家族が絶望的な体験をしたとしても、これら全てを彼らの個性として認め、彼らが体験したことを見世物にしないことを私たちは重要視しています。それは、アフガニスタンの文化背景を知っているからこそです。同情を誘うような記事や写真を公開すれば、確かに子どもたちの治療を無償で行ってくれる病院の協力や寄付金を確保することは簡単になるでしょう。活動を続けていく上で、協力やご寄付を得ることはもちろん必要です。しかしながら、私たちは、活動への理解を深めていただく過程でも、人間を尊重することを最も大切にしたいと思っています。信用ならない報道や望まれていない人物が画面に登場していることを自問します。だからこそ、ドイツ国際平和村は各国の現地パートナー団体から信頼を得ることができているのではないかと思います。 ここでは良い状況を報告したり、以前ドイツ国際平和村で治療を受けた子どもたちの現在の様子をもっと報告したいところです。それらは、今まで誰からも援助がなかった人々のために行動を起こすことは意味のあることだと示しています。 私たちを支えてくれている皆さんの誠意と支援に感謝しています。 写真:この若い女性は以前、ドイツ国際平和村を通してドイツに滞在していました。現在はアフガニスタンにて、彼女なりの素晴らしい人生を送っています。

国際友情の日

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Japanese version of article „Internationaler Tag der Freundschaft – Wenn Freundschaft Grenzen überwindet“ posted on July 30th 2015. 2015年7月28日付 友情が国境を越えるとき 7月30日は国際友情の日です。2011年、国連はこの日に様々な文化や国の友好関係を強化するよう提案しました。ドイツ国際平和村でも異文化の友情はまさに成立しています。 友情というテーマはドイツ国際平和村の活動のいろいろな分野で見受けられます。もっともはっきり見られるのは子どもたちが生活している施設です。そこでは、アンゴラ、アフガニスタン、そして多くの国の子どたちが無条件に一緒に遊んでいます。大きい子どもたちが小さい子どもたちの手伝いをしたり、互いに通訳をしたり、追いかけっこをする際に車椅子の子どもを押している子どもの姿もあります。 ここではだれも手助けをお願いしていません。そうです、わざわざ聞く必要はないんです。多くの子どもたちは、人間間の衝突が及ぼすことを母国で経験しています。 また他の分野でも国境を越えた交流はとても重要なポイントです。援助活動を行っている国の現地パートナー団体と協力し合えるからこそ、人道援助団体の活動ができるのです。というのも、現地では彼らの協力のもと、重要な仕事、コーディネート、交流、そしてアドバイスが成り立っています。治療のためにドイツへ来る子どもたちとの面会であろうが支援物資の振り分けであろうが、現地パートナー団体は現地の人々と共に生きていると同時にドイツ国際平和村とも密なコンタクトがあります。だから彼らは現地で信頼できるオールマイティに仕事をこなしてくれる存在なのです。 他人が友人になるとき 日本とドイツ国際平和村にはとても強い友情関係があります。女優東ちづるさんを通じて、ドイツ国際平和村が日本で有名になり、今では日本に多くの支援者がいます。とても遠い日本から定期的にドイツ国際平和村に寄付を送ってくる方かたもいれば、休学や仕事をやめて半年から1年の間、ドイツ国際平和村でボランティアをする方たちもいます。この期間、ボランティアたちは研修生用の施設に宿泊し、そこでドイツや他国の研修生とすぐに友だちになっています。 … Weiterlesen

ルーマニアへ支援物資を送ります

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Japanese version of article „Hilfsgüter auf dem Weg nach Rumänien“ originally posted on July 14th 2015. 2015年7月14日付 6月末、ドイツ国際平和村スタッフが1,6トンの支援物資を送るためルーマニアへ向いました。ルーマニア西部に位置するスンニコラウという町の病院に、この支援物資を届けるのです。また、ルーマニアの大都市ティミショアラから北部約80キロに位置するチェナドという町にも物資を届ける予定です。この町には以前から定期的に支援物資を届けています。 25年間支援を続けています 1990年以来、ドイツ国際平和村はルーマニアの人々への支援を行っています。まずは病気やケガの子どもたちへの援助活動を開始し、その後現地に支援物資を送る活動も始めました。支援物資として、衣類や点滴スタンド、車椅子、栄養補助剤、子どもたちへの薬を届けています。これらの援助物資によって現地の病院に必要なものが補充されます。以前支援物資としてドイツから届けた担架は、それでなくても大変な状況の患者と病院のスタッフ双方の役に立っています。衣類は市役所が一時保管し、そこから必要な人々の手に渡ります。 現地ではひどい暑さが続いていました。特に子どもたちや高齢者にとって、40度を超えるこの暑さは過酷です。この気候への対策として、人々が飲み水を確保する保水所が設置されました。平和村の物資の支援は、現地の人々に必要とされています。いまだに多くのルーマニアの若者が、仕事を見つけ、家族を養うために、隣国へ移住しています。 写真:点滴スタンドや車椅子などたくさんの物資をルーマニアへ  

ドイツ国際平和村のルーツ

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Japanese version of article „Back to the roots“ about founding days of Friedensdorf International originally posted on April 28th 2015. 「世界の平和と公正」-これは、48年前の設立当初から現在に至るまで、ドイツ国際平和村が活動を続けてきた理由です。11年にわたるベトナム戦争とドイツ国際平和村の歴史は深くかかわっています。ドイツ・オーバーハウゼン市にある施設に最初にやってきたのは、ひどく傷ついたベトナムの子どもたちでした。罪のない子どもたちが、非人道的なこの戦争の犠牲者となったのです。   ドイツ国際平和村は、1967年7月に設立されました。第三次中東戦争(6日間戦争)で傷ついた子どもたちを援助することが設立当初の目的でしたが、支援をした最初の子どもたちはベトナム戦争で傷ついた南ベトナムの子どもたちでした。   1971年から75年まで、ドイツ国際平和村の代表を務めたペーター・ステューベ氏が当時の様子を以下のように回顧しました。 「ドイツへ受け入れる子どもたちに会うために、ボランティアで手伝ってくれる南ベトナムの医師を探しました。そして、現地の管轄局、警察、軍部と連絡を取らなければなりませんでした。同時にドイツ国内では、子どもたちの治療を無償で請け負ってくれる協力病院を探し、エア・フランスの安価な航空券を手配しました。」 … Weiterlesen

中央アジア3カ国への訪問 

Japanese version of article about trip to Central Asia originally posted on June 8th 2015. 2015年6月8日付 ドイツ・デュッセルドルフからタジキスタンの首都ドュシャンべまで約10時間もの飛行時間を要します。ドュシャンベは今回の中央アジア訪問の最初の滞在地です。6月8日(月)から、2人の平和村のスタッフは中央アジア3カ国を訪問し、今後の支援を考えます。また、現地プロジェクトを行っている場所の訪問や子どもたちとの面会も予定しています。この面会で、ドイツでの治療が可能かを確認する予定です。タジキスタンの少年アトベックも、かつてこの面会を受けた子どもの一人です。3歳のアトベックは、この訪問の際にスタッフと一緒にタジキスタンへ帰国し、家族のもとに帰ります。彼は今年2月に、アフガニスタンと周辺諸国への援助飛行の際に、治療を受けるためにドイツへ渡航しました。

タジキスタンに約1週間滞在した後、平和村スタッフはキルギスという国へ移動します。キルギスはタジキスタンの北部に位置する国で、2013年より平和村は支援を行っています。母国での治療が不可能なためドイツに渡航し、治療を受けているキルギスの子どもたちは、現在8人です。

最後に訪問する国はウズベキスタンです。この国で実施している3つのプロジェクトを、ドイツ国際平和村は資金援助しています。具体的には、口唇口蓋裂治療プロジェクト、整形外科プロジェクト、形成外科手術プロジェクトです。このプロジェクトにより、子どもたちは親元を離れずに、母国で治療を受けられるのです。
平和村は支援を行っているどの国でも、現地の団体とパートナー関係をむすび、協力して活動を行っています。例えば、ウズベキスタンでは「Sog’lom avlod uchun」という団体とともに活動しています。キルギスでは「Together for Health」という基金、タジキスタンでは「Derewnja Mira(平和村)」という団体です。現地の状況を深く知り、そこの人々と関わっていくために、信頼できるパートナー団体との協力は重要です。加えて、平和村は、緊張関係にある国々のパートナーを繋げる架け橋の役割も果たしています。 フェイスブックにて、現地入りしているスタッフからの写真と現地報告を紹介しています。是非ご覧下さい。https://www.facebook.com/friedensdorf.jp