故郷への帰国と異国への旅立ち-第60回アンゴラへの援助飛行が無事終わりました

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Japanese version of the artikel „Reise in die alte und neue Welt“ originally postet on November 11th 2016.

2016年11月11日

11月8日、ドイツ中の協力病院で治療を受けて元気になった子どもたちが、チャーター機に乗って、母国アンゴラの家族のもとに無事帰りました。そして3日後、飛行機は70人のケガや病気を抱えた子どもたちと、同行した平和村スタッフを乗せて、再びドイツ・デュッセルドルフ空港に到着しました。一部の子どもたちは、空港から直接病院へ向かい、協力病院が無償で提供してくれる治療を受けます。その他の子どもたちは、病院での治療の前に、スタッフ、医師、そしてボランティアが待っている平和村施設に滞在します。このアンゴラへの援助飛行活動は、今回で60回目になります。

ドイツ国際平和村設立から50年が経とうとしている今になっても現地では、残念なことに、ドイツ国際平和村の継続的な支援がより一層必要とされています。平和村の活動のために、たくさんの人々が関わり、協力して下さっていることは、記事では伝えきることができません。矢倉幸久医師は、日本での病院での勤務の傍ら、2万6千キロも離れたドイツまで平和村の子どもたちのために駆けつけて下さいます。勝田茜作業療法士は、平和村でボランティアとして活動した後、職員として勤務していました。平和村を退職し日本に帰国した後も、この度仕事の休みをとって、子どもたちの帰国、渡独に同行しました。彼女だけではなく、教師をしているボリス、メラニー、医師のマイケもそれぞれ仕事や家庭の都合をつけて、アンゴラに子どもたちに同行しました。彼らが現地の様子、子どもたちの様子についてこのように語ってくれました。

「ドイツでたくさんの人たちが僕を助けてくれました」そのようにジャンバが私たちが問いかけた質問の答えについて話し始めました。彼は以前、平和村を通してドイツで治療を受けていました。私たちが質問した「将来何になりたいか」という問いに対して、彼はもちろん医師と答えました。15歳になるジャンバは、重度の骨髄炎で長い間、ドイツで治療を受けていました。現在、治療を終えてアンゴラへ帰国した後も、治療を終えた子どもたちの家族への受け渡しや新しい子どもたちの渡独準備のお手伝いをしに、定期的に平和村の現地パートナー団体Kimbo Liombembwaに来てくれます。今回、彼は3日間もお手伝いに来てくれました。その内の1日、ドイツから帰国した子どもたちを家族に受け渡す日には、平和村施設で知り合った2人の友達とともに微笑を提供してくれました。ジャンバとこの2人の友人は、帰国後も時折会っています。その時にはドイツ語で話すこともあります。(写真参照) 彼らは平和村スタッフに、手紙と歌をプレゼントをしてくれたのです。この2曲のラップソングは、もちろんドイツ語です!そして、ラップソングの他に、もう1つの曲は、平和村施設で他のたくさんの友達と一緒に歌った思い出の歌でした。「We are the world, we are the children…」そう、ウィーアーザワールドです。これは、2015年の新年のイベントに、ドイツ・オーバーハウゼン市長に招待を受けた時に子どもたちが披露した曲でした。治療を受けた彼らの脚にはまだ可動域に制限がありますが、それを感じさせないリズム感のあるダンスとともに歌を披露してくれてとても嬉しかったです。「本当にありがとう。僕たちはみんなを絶対に忘れません」と、支援者に向けた熱唱が続きました。

また、治療の必要な子どもたちの我慢強さも印象に残っています。包帯替えの順番が近づいてきたとき、痛みに耐えながらも自ら包帯を取る子どももいました。

しかも、包帯替えの自分の順番が来るのに何時間も待たなくてはいけないのに、彼らは傷口の痛みに耐えながら我慢強く待っていました。きっと子どもたちは、待つのに慣れているのでしょう。子どもたちは、私たちからのアイコンタクトにすぐに気づいて、反応してくれます。もちろん涙を流すことはありますが、その直後にはすぐに笑顔を向けてくれます。そして、子どもたちが、簡単なもので遊びを楽しんでいるのを見て感心してしまいます。空のペットボトルだっておもちゃになり、そのボトルがどのキャップに合うのかを探すのを楽しんでいます。また、ドミンゴスは、チャーター機に乗る時に、自分の松葉杖を預けたくない様子でした。なぜなのか聞いてみて、私たちも納得がいきました。その金属の松葉杖はお父さんの手作りで、松葉杖として使えるように頑丈にできていました。見た目も綺麗に見えるように、お父さんは白のペンキを塗っていました。ドイツでもお父さんの愛情を感じ、思い出せるように、その松葉杖も飛行機につめ、持ってきました。
ルアンダは、この2年間でかなり変わりました。石油輸出に依存しているこの国は、石油価格の下落で大きな打撃を受けました。基本的な食料品も輸入しなければならず、生活必需品の多くも助成により入手しています。私たちは気づいています。1リットルのジュースが7ユーロもするという驚きの物価だけでなく、金銭不足のため、パスポート発行に必要な書類を入手することができない多くの家族が存在することを…。地方都市までの移動をあきらめざるを得ない場合も多々あるのです。ルアンダの街では、外国人の姿が少なくなっています。少し前には、飛行機に、今より多くのヨーロッパ人、中国人、アメリカ人の乗客が乗っていましたが、今は半分は空席の状態です。通りには、ゴミ箱を漁って、食べ物を探している人たちの姿がより目立つようになりました。最も貧しい人たちの苦労は、私たちには想像を超えるものがあることでしょう。しかしだからこそ、平和村を通して治療を受けたかつての子どもたちが、時がたっても現地パートナー団体に来て、元気な顔を見せてくれることは、大変嬉しいことです。

チャーター機での子どもたちの往来に同行をした人たちだけではなく、その他にも様々な人、団体が、色々な形でドイツ国際平和村の活動にかかわっています。デュッセルドルフ空港は、チャーター機の離発着に際して空港使用料を無償にしてくれています。オーバーハウゼン交通局は、空港と平和村施設の往復の移動に際し、無償でバスを提供してくれ、運転手はボランティアで運転を担ってくれています。ドイツ赤十字の皆さんは、デュッセルドルフ空港から直接病院へ入院する子どもたちを、ドイツ中の各協力病院まで連れて行ってくれています。そして、平和村施設でも、たくさんの人たちが、新しい治療が必要な子どもたちの迎え入れのためにボランティアとして力を貸してくれます。そして、平和村の活動を支えるために、日本・ドイツからご寄付をお送り下さる方がいます。学校や企業、町中で、子どもたちのことについて知らせて下さる方がいます。

このような皆さんお一人お一人のご協力がなければ、ドイツ国際平和村の活動は成り立ちません。子どもたちが元気になって暖かい故郷アンゴラに戻り、治療の必要な子どもたちが新しい、寒い異国に来ます。その寒い異国で子どもたち取り戻せるものは、子どもたちが本当に欲しかったもの、「元気になる」ということです。

共に活動して下さるお気持ちのある方は、ご寄付という形で子どもたちへの支援をして頂けませんか。ドイツ国際平和村は、多くの皆様からのご寄付に支えられて活動を続けています。

 

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